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2013 01,28 08:01 |
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首都圏記紀シンポジウム~古事記と時間軸~に行ってきた。 第一部での基調講演《工藤 隆氏(大東文化大学教授)による》がとても良かった。 貴重な映像資料も交えながら、古事記以前の日本を読み解いていく。 そう。 古事記編纂1300年とはいうものの、古事記の内容は当たり前の話だけどそれ以前の物語だ。 それ以前に語り継がれてきたものを、1300年前にやっと書物に記したということだ。 それ以前の日本史は存在しない。 文字が存在しなかったから。 あるいは存在したが、淘汰、絶滅したか。 とにかく歴史としては葬り去られた。 教授は映像資料(たしか20年ほど前の現地取材と言っていた)で、神話のルーツとその予想風景を中国の少数民族に向け、話を展開されていた。 貴重な映像だそうだ。 というのも、いくら撮影カメラの技術が進歩しようとも、『現在では撮影する対象が失われている』のだそうだ。 『貴重な映像資料というのは映像の質のことを言うのではありません。あくまで何を映しているか。。。』 教授が話す。 いくつかの部族を紹介し、それら少数部族がいかに土着の神話を語り継いできたか、その方法を見せてもらえた。 資料の中で、伝承方法は全て歌だった。 中には(神話の内容)全てを話すと丸2日かかるというものまで。 面白い。 『中国』とは言ったものの、いわゆる『中華人民共和国』の姿はそこにはない、当たり前の話だけど(笑)。 イメージとしては僕の思い描く南方系に近い気がした。 ああ、これだ。 そう思った。 僕は自作品『SUSANOO -スサノオ-』にしろ、その続編で制作途上の『AMATERASU -アマテラス-(仮題)』にしろ、世界観の構築、デザインを、およその『南方系』に求めてきた。 はじめて作品を作ろうと思った時、いろんな資料を見たけど、僕のイメージに合致する世界観、特にキャラクターの描写は殆ど無かった。 ほとんどが着物、和服を纏い、日本髪の延長線上にあり、おそらくは江戸時代、あるいはそれより前かに、浄瑠璃や歌舞伎の影響を受けてデザインされたと思われる描写ばかりだった。 即座に、これらは自分のイメージではないと思ったのを記憶してる。 僕が南方系にイメージの照準を合わせたのは、高千穂へ行った際に買った本に掲載されていた安田靫彦という画人の描いた『 瓊々杵尊降臨』(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)という絵を見たからだ。 その絵で描かれた猿田彦がどこか従来の日本のイメージから逸脱してた。 それからホツマツタエ(他論ありのようだ)などの古文字。 それらを眺めてると想像力をかき立てられる。 今回の講演で、教授は『古事記は様々な表現者の想像力をかき立てるもの。しかし学問はそれではいけない。本来ならばそこへ行ってみるのが一番良い方法だが、それは出来ない。』 タイムマシンでもない限り。 だから教授は現存する異文化の中から、神話に語られた原風景を求め、中国少数民族を調査するに至ったのだそうだ。 教授と比べるのは勿論月とスッポンではあるけれど、僭越ながらぼくの立ち位置から見ると、表現者は逆に最大限に想像力に負荷をかけるのが役割りだ。 僕は僕で役割りを全うしたい。 映像資料の中の風景は素晴らしかった。 機会があれば全編見たいと思った。 電気も水道設備も持たない少数民族。 脈々と語り継がれ、歌い継がれてきた。 僕たちは電気と水道の中で、大事な宝を忘れようとしているだろうか。 知りたい。 見たい。 聞きたい。 もっと聞かせてよ。 ぼくらの父母の話を。 もっと教えてよ。 僕たちが何者なのか。 自然を愛して、自然の中にいた。 そんな昔むかしの話を。 PR |
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