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2013 02,22 01:07 |
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http://www.youtube.com/watch?v=U3GNPV4ypq8 何度文章を書いても書き直し書き直し。。。。 もういっそのこと何も書かない方が良いのかもと思いつつ書いているところ。 もう二回ほど長文を削除した。 それでもこれだけははっきりさせておきたいのは、これは宗教勧誘のビデオじゃないってこと(笑)。 表現の映像作品だ。 僕自身何にも属していない。 それから主演の阿利さんはダンサーであり本物のシャーマンだ。 僕はカミサマの言葉を知らない。 僕はカミサマが誰なのかを知らない。 (※この日記ではカミサマと神、ほかを敢えて使い分けて書きます。) 日本神話にはアメノウズメという神が出てくる。 古来、踊りは祈祷を意味した。 ウズメは舞った。 服がはだけ、女陰が見えるほどに懸命に舞った。 ダンスも歌も、日本神話だけじゃない、演劇も祈祷に繋がる。 だから巫女は舞う。 自分の為じゃない。 自分以外の者の為に巫女たちは懸命に舞う。 自分以外の者の為になることが自分の為になることなのだろう。 ところで、僕の生まれ故郷には《タノカンサー》というのがいる。 これは《田の神サマ》を表してる。 ただ石を積み上げられていたり様々な形態があると思うけど、なんかそのたたずまいは神というよりも精霊に近いのだろうかと漠然と思ってみたりする。 宗教というといわゆる教典があり司教がいることを思い描きがちだけど、これはどうなんだろう?そんなことを考える。 とくに戒律がある訳でもない。 教典もない。 ただ、タノカンサーにささやかに感謝するんだ。 なんかそういうの素敵だとは思っていた。 今回の作品『カミサマノイルトコロ』でいうカミサマは、いわゆる英語で言う『GOD』を指さない。 阿利さんは言う。 『そこら中にいるよ。』 カミサマが、魂が、精霊が。 無学な僕にはその名称を限定出来ない。 言葉では表現出来ない感情が、そこら中にあるのだと。 建物にも、木にも、水にも、火にも。冷蔵庫や電話機にも。 なるほど。 古来日本には八百万(やおろず)の神々がいるという。 それは精霊のようなものなのだろうか。 そんなこといくら考えたって解決しっこ無いわけだけど。 僕は自分がどんだけぶっ飛んでるかといえば、自宅に神棚はあるが実家に仏壇があるし、神社や寺に行くのは好きだし、帰郷した時にはキリスト教の日曜礼拝に遊びに行く。 何故なら母と妹はキリスト教だから。僕はそうではない。 僕は教会の保育園を中退。 堕天使だ(笑)。 幼少期の思い出には賛美歌が溢れていて、とても素敵だ。 父親の葬式は仏教だったのに、キリスト教の牧師さんたちが喪服を着て来てくれた。 仏教の坊さんをやってた友人も、お盆で忙しいというのに袈裟を着て来てくれた。 とても嬉しかった。 宗教ではないけど、イスラムの文化も僕の作品制作に沢山影響を与えてくれた。 なんかすごいよね(笑)。 僕にとってはそんなもんだ。 すべては気持ちなんだと思う。 だから全てが尊いと思ってる。 反面、そういった教典が人と人との間に線を引いてしまっていることも、現実社会では。 大きな望まれない争いの元となった、あるいはなっている、なるであろう、そういった側面も否めない。 個人的にはこう思ってる。 宗教が素晴らしいというか、その人たちが素敵な人たちだなと。 どんな宗教であれ。 そんな僕だ。 だから話を元に戻すと、僕は誰か一人の神様にはあまり興味は無いけれど、でも精霊たちという考え方に惹かれる。 宗教と言うよりも、『そういった考え方』と言った方がしっくり来るような気がする。 僕はね。 こういうの、ある種のアニミズムと言うだろうか? かのホーキング博士は言う。 死の後は無なのだと。 ホーキング博士が言うのだから。 でもしかし、、わかんないよ、そんなの。 ホーキング博士生きてるし。。。 こればかりは想像の域をけして超えられない。 僕は『死んだ人たちは幸せであって欲しい』と思う。 少なくとも。 父が他界した時、葬式場から家へ帰るとすぐに父がかわいがってたシドニー(犬)に父の遺影を見せた。 シドニーは怯えたのか寂しがったのか、そんな仕草をして隠れてしまった。 それは僕からただならぬ気配を感じたからなのかもしれないけど。 何しろあの時はベロンベロンに酔っぱらって親戚中の顰蹙をかったし。 父の死後、すぐに父が大事にしてた庭の木が枯れた。 僕はそれを見て、ああ、父と一緒に行ったのだなと思った。 何も不思議なことではない。 そんなこと身近にたくさんあった。 なにしろ九州って土地柄は、カミサマと共存してるからね。 幽霊は見えなくても(笑)、僕たちは常に精霊と共にあるのかもしれない。 ただ、僕たちは長い時間の中であまりに僕たち中心に考えてしまって、精霊を顧みなかったんじゃないだろうか。 森や川や海にいる精霊たちに。 文明が悪いとは絶対に思わない。 文明も文明を繋ぐ為に生きている精霊だと思う。 人間が自然界から生まれて来る以上、その人間の作る文明だってその一部だと思うから。 さて、当初の想像通り、とりとめのない文章になってきてる(笑)。 本作品でアーティスト/大西ゼンジ氏のThe Shape GATEというアートは、ゲート(門)の役割りをしてもらっています。 僕たちは精霊の言葉を忘れた精霊だ。 あるいは精霊予備軍か。 あるいはかつて精霊だったか。 シャーマンに教えてもらう。 シャーマンに伝えて欲しい。 勿論シャーマンも人間だ。神様ではない。 ただ、最も精霊たちを感じようと理解しようと日々努力してる人たちだ。 と思う。 誰よりも精霊に語りかけ、戯れようとしてる。 僕にはそんなふうに見える。 未来の為に、未来の夜明けの為に、僕たちは精霊の言葉を思い出したい。 精霊の考えを知りたい。 精霊の教えを乞いたい。 精霊たちに言葉がとどくなら、 風は吹き、緑は踊り出すこともあるだろう。 いつの時代も世界は人の『思い』の結晶でしかなわけだから。 ========================================== 映像作品『カミサマノイルトコロ』KAMISAMA NO IRUTOKORO 2012年製作/33分 (※以下リンクあり) 出演・振付/阿利-ALI- ART /ZENJI ONISHI cast/杉山正弘、薄井啓作、畑田麻衣子、畑田彩江 音楽/ ●喜楽童 Toshi&七海 with phuzy ●amamania ●ガイネ 音楽監督/岡本剛 撮影監督/前田達哉(Zyangiri) 監督・アニメーション/Artmic8neo(Shiro Tomura) 企画・制作 (株)ゼンジビジュアル / Dance Unit SHINRA 本作品は、上記企画者の正式の依頼のもと、参加者の同意を受けYouTubeにアップロードしています。 無断コピー、アップロード、等の使用を禁止致します。転載の場合は必ず動画URL(リンク)を使用して下さい(短縮可。) 以下別枠 ************************** 【劇場公演版 記録映像】 阿利-ALI- + ZENJI ONISHI ART∞DANCE coiiaboration ACT「カミサマ ノ イルトコロ」 ◎YouTube再生リスト http://www.youtube.com/playlist?list=PLg1keSdUrbmWfvQclWheNzhGBwB0RFvqS ************************************ PR |
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