2024 11,25 15:20 |
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2014 04,05 11:55 |
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ここ数日の僕の旅は、とある人物の痕跡を追う旅だ。
その人物は江戸時代の数学者にして天文学者、経世家である本多利明先生だ。 江戸は現在の文京区音羽に住まわれ、越後の国(新潟県)は蒲原郡の生まれだと言われている。 氏に関して今は多くを語らずと致しますが、この人物に関して知りたい事が多く、八方手を尽くしては資料を集めていました。 文書等の資料はいくつかあるんだけども、画像に関してはほぼありません。 そこで氏が居を構えておられた音羽、音羽と言えば護国寺ということで、有楽町線『護国寺』駅にて下車。 やはり、体感し、風景のスケール感を『味わう』ことは、文書1冊に勝るものがある。 また、霊と語らうにはその場所に赴かなければ、霊とて出張サービスは行っていないので、出会う事もないのでしょう。 とある理由で僕は護国寺を避けていた。 それは思想や哲学に関する理由からではなく、単純に作画・演出の観点からだった。 だからその自らのネガティブな理由を払拭するためにも、今回実際に現地にて見聞することは必要だった。 とまあ、仰々しく書いたものの、要はピクニックである。 門の作りだが、浅草寺の雷門と全く同じに、風神と雷神が門をくぐる僕らを睨みつける。 その威圧感たるや、浅草寺の風神雷神の比に非ず、凄まじい念を感じる。 門の裏は広目天と増長天の像。 いつも思うが、金網が邪魔だ。 最近浮世絵を眺めたりトレースする事があって、特に感じるのは、浮世絵というものは僕は抽象画の範疇と思っていたのに、いやそれは違うなと思いはじめたこと。 浮世絵というのは紛れもなく極めて写実派だと思う。 写真資料的価値がある。 護国寺境内に多い松のフォルムを見ているとまるで浮世絵の中に吸い込まれて行くようだ。 一つ一つの枝葉が、さながら無数に散らばる銀河のように見えはしまいか? さてこの護国寺の立地はどうも陰陽師的な呪術、霊界との関係があるそうだ。 詳しくは下記に面白く書かれていた。 ◎歴史街道 (2013.11.13記事) https://www.facebook.com/rekishikaido/posts/670976149601250 結界だね。 どうも僕ら日本人はオカルトと現実の狭間に生きている。 いや、言い方を間違えた。 《霊界(あるいは魔界か)》と《現世》の狭間に生きている。 だな。 護国寺の境内から長い階段下を見下ろすと、今は昔の風景が目から異次元から知覚的に交錯する。 噛み締めるように境内を後に、一段一段降りてゆく。 どんなに時代が過ぎようと、そこは 《カラスが鳴くから帰ろう》 そんな時間経過が相応しい気がした。 入りの門は即ち帰りの門。 本多利明もこの門からの風景を見ただろうか。 おそらく幾度となく。 ご覧になっただろう。 先生、ご覧下さいませ。 世界は些か速くなったように思います。 願わくばこの護国寺より真っすぐ凛として伸びる一本道が、我々の未来を迷いなく導いてくれると良いのですが。 先生、聞いておられますか? PR |
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2014 04,05 00:30 |
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ちょっと調べものがあったので国立国会図書館へ。
某公共団体の方が、僕のお目当ての資料がここに所蔵されていると教えてくれたので、初体験を兼ねて行って来た。 僕みたいなのは永田町界隈にはホント縁がないしね。 縁がないから円がないのか? 円がないから縁がないのか? 敢えて有楽町線を使わないで、丸ノ内線の国会議事堂前で下車。 すると、ちょうど首相官邸の前で地上に出て、国会議事堂を回り込む形で国立国会図書館へ行く事が出来る。 ニュース等で見る事件は会議室で起きているのではありません。 ここで起きています。 国会議事堂って修学旅行できた記憶があるけど、改めて見ると立派な建物ですなあ。 その大きさとデザインの美しさに見とれてしまった。 国立国会図書館は国会議事堂に隣接してる。 この図書館は普通の図書館と違って文書等の館外持ち出しは出来ません。 まず、新館で利用者登録をしなければならない。 身分証明を提示し、必要事項を提出すると、自分専用のカードを発行してくれる。 この図書館での行動は全てこのカードが必要だしこのカードで管理される。 カードをコンピューター横のカード受けに置くとそのコンピューターが使える仕組みだ。 探し物が見つかったらコンピューターで注文して、15分ほど待つとカウンターに用意される。 関内には喫茶店も食堂も売店もある。 とにかく広くて、迷子になってしまう。 かなりの人数の人たちが、夫々の調べものをしてる。 きっと夫々が夫々のドラマを背負っているのだろうね。 桜が満開であったせいか、頭に桜のお土産をのっけてる人を何人も見かけた。 こんなにアカデミックな、コンピューター管理された中、そんなお土産を見つけるととても楽しかった。 ほらほら、前を歩く兄ちゃんの頭の上に。 こっちのおっちゃんのハゲ頭の上にも。 うららか、、というのはこういう事を言うのかな。 (国立国会図書館からみた国会議事堂) さて帰り時を急ぐか。 帰り道、民主党のビルを見つけたよ。 ほらオカルトでよく言われるよね、あの隣のビルのてっぺんの看板。 プロビデンスの目でしたっけ。 フリーメーソンのね。 初めて見たので写真をパチり。 ほらほら急に暗雲たちこめ。。。。(笑) なんてね。 |
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2014 04,03 01:06 |
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先日、浅草へ行って来た。 友人が中国茶のお茶会で茶を披露するので招いてもらったのだ。 ぼくはこう中国茶のお茶会のなんとも言えない雰囲気、それから中国茶の独特の香味がとても好きだ。 それで、いつも色々質問しながら茶会に挑む。 大陸の山間部で摘まれ、様々な道を旅して来たそれら茶の葉が絞り出す一滴を味わうと、巨大なロマンに吸い込まれるような感覚になる。 特に勉強のつもりはなく、純粋な愉しみである故、覚えた事もすぐに記憶の皿から零してしまう。 しかし忘却は、今一度、同じ物事を楽しむチャンスでもあるわけでしてな(笑)。 お茶会も終わり、浅草へ繰り出す事に。 途中、お昼を食べていなかったので、中国茶のお茶会だった事もあり、小さな中華料理店に立ち寄る。 ラーメンはタンタンメンしかない。 他は点心。 『マスター、中国の人?』 『そう中国。』 我が家の近所の中華料理店のマスターもそうだが、一人できりもりしてる中華料理店の中国人のマスターって、どこかはにかんだ感じで、朴訥とした人が多いように思う。 こういう人は好きだ。 こういう人は旨いものを食わせてくれる。 『中国のどこ?四川?広東?』 『西安』 西安かあ。 ビールをすすりながら、担々麺を口に運ぶ。 絶妙な甘さ辛さ。 麺が油断した隙間にその辛みそスープが例外無く絡み付いてくる。 ずるずる! スープの熱さと辛みでじんわり汗も滲んでくる。 フカヒレ餃子を口に放り込んでみた。 皮が破れて中からフカヒレのエキスが飛び出して来た。 あちちち、ほふっほふっ。 旨いもん食うなら金じゃねえよ。 やっぱ『出会い』なんだよな。 『西安では担々麺がスタンダードなの?』 『そう。』 とマスターが作業しながら答える。 『ハオチー(美味しい)』 と言うとマスターが今までになく屈託のない笑いを見せてくれた。 浅草寺 仲店通りでは日本酒アイスクリームなるものを食べた。 『美味しいから食べていけ』 と店のおっちゃんが言うので 『じゃあひとつちょうだい』 と、その日本酒アイスを所望した。 アルコール分1%未満。運転のある方はご遠慮ください。 『ほー、うまいねこれ! あれだ、甘酒だね。酒粕の味だ!』 ご主人が『ご名答』って顔をしてる。どんなもんだい。 『写真撮って行きな。ブログにのっけてよ。』 とご主人。 しかし、もうすでに一口かじった後だった。 『じゃあさ、ブログにのっけるからさ、このかじった分ニョロニョロっとあと2巻きくらいのっけてよ。』 ご主人がそいつは出来ねえって顔をしてる(笑)。 まあいいや。 桜もこの日は満開とはいかない7分咲きだった。 アイスも季節的にまだ満開には至りませんってことで。 写真をパチり。 春が咲き始めた。 暖かさが咲き始めた。 街も人も動き出す。 西へ東へ。 夏へ向かって走り始めた。 |
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2014 03,27 16:02 |
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このところ非常に良い事があったり、がっかりする事があったりの連続です。 つくづく人の日常というものは実に滑稽なものだなと感じてる。 テレビを見てもラジオを聞いても不穏な世界情勢。 思うに世界は予想した通りの展開になっていくのだろうと思ってる。 そこら中に散らばる情報の点と点がつながっていくと、それは完成するのだろうなと。 そんなふうに感じてる。 そんなこととは裏腹に、僕の日常は別の事(おおかた作品の事)で頭がいっぱいだ。 今日(こんにち)に至って強く思うのは、やっぱりインターネットって役に立たない代物だということ。 実に多くの情報を提供してもらっているように思えるが、肝心の情報はインターネット上にはほぼ無いに等しい。 あるのは『情報のように見える』情報の断片、搾りかすのようなものだ。 全て乾燥しているように思える。 本当に貴重な、潤いを保った情報は、やっぱりそれなりの場所で管理され、それらがインターネット上に出る事はストップされている。 だから、とても遠回りをしながら、人の親切や情のようなものにも感謝しつつ、核心の情報に近づいてゆかねばならない。 非常に面倒くさい事ではあるが、自分は結構楽しんでいたりする。 さながらインディージョーンズにでもなった気分だ。 本日もいくつかの良い事と悪い事がありました。 世間的には何の価値も面白みもないこれらの出来事だが、僕にとっては一大事。 僕と言う個人が、短い足で進む一歩。 その一歩を踏み出すのに必要な歯車の歯、凹凸を与えていただけた事に感謝だ。 しかし、人生と言う尺度で見ると、僕は実に短足であるなあと、つくづく思う。 実際は、、、、、 実際も短足だったりして。 悔しいから測らないよ。 まあドラえもんよりはマシなはずだ。 |
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2014 03,14 06:49 |
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昨今、僕はとても気に入らない事がある。 とてもとても気に入らない事だ。 怒りすら覚える。 しかし、怒りより先に来るのは、途方もない喪失感、虚無感、虚脱感。 どうしてこんな事になったのか。 こんな事で良いのか。 良いわけがない。 もう我慢の限界だ。 とても不快な思いをさせて申し訳ないが、酒の力を借りて思う存分毒を吐く事にしました。 『ダイオウイカ』の事だ。 一体どうなってる。 僕が幼い頃から知ってるダイオウイカは、深海の魔王だった。 それがどうだい。 最近よく近海で発見される。 あれは断じて僕が知っているダイオウイカではない。 あんな小さなもの、ただの大きめのイカに過ぎない。 全長を計測するのにゲソを含めるな ! バカもんが ! イカの三角の部分の長さを測れ。 あんなもの少し大きめのイカなんだ。 僕が知っている海の魔王を教えてやろう。 そいつは深海の一番暗いとこに住んでやがる。 物音一つさせず、獲物が近くに寄って来るのを待ってるんだ。 ぎょろりとした、不釣り合いな大きな目がヤツのレーダーだ。 獲物? マッコウクジラだよ。 ヤツの大きさを教えてやろう。 船。。。!? お前、そんな小さな船でヤツと渡り合おうってのか!? 無知ほど恐ろしいものはない。 ヤツはタイタニック程度の船ならなんの抵抗もなく海の底に引きずり込む。 ヤツ武器は樹齢600年はある大樹の太さの足だ。 その殺人兵器が何条も巨船に絡み付き、マスト、艦橋を締め付け、破壊する。 巨船はギリギリと金属的な悲鳴をあげ、最期に四散するだろう。 深海の魔王は、そのバラバラに砕け散った巨船を、切り分けたケーキのように海の底への土産にするんだ。 この。 この僕のロマン。 それが昨年末から崩壊の危機である。 もう我慢の限界だ。 なぜ誰も文句を言わない。 僕は言ってやるぞ。 『あんなのは・断じて・ダイオウイカではない!』 頼むから、イカの全長を、ゲソを含めて測るな。 それは、ものすごくズルい。 |
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