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2014 04,14 01:18 |
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高尾山に行って来たさ。
我が家から電車で40分くらいかなあ? 近場の登山スポットだ。 高尾山をナメてはいけない。 高尾山は『山』だ。 都内と気温も違うし、場所によっては谷底へまっさかさま。 本日の高尾山はものすごーくライトに、午前中にぶらりと出かけて、参拝し、夕方前には下山しようというお手軽高尾山だ。 まあいうなれば壮大な散歩ということだ。 京王線 高尾山口駅(終点)を下車すると、絶好の天気に恵まれた中多くの登山客がごった返してる。 蕎麦やだんごの香り。 都内では桜は去ったが、ここではまだ桜が散り盛りである。 桜と似た花を咲かす樹々も多く、それらが山を桃色に染めていた。 まずはリフトに乗って中腹まで行く。 全長872メートル、高低差にして237メートルだそうだ。 これは気持ちがいいよ。 中腹から頂上までは歩く。 ちょうどじんわり汗をかく良い距離だよ。 途中に色んな参拝場所があってね、例えば健脚祈願や、大願成就などなど。 道々に童子の像がたくさん見守っている。 何の童子だろう?と帰ってから調べてみたら、 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 薬王院飯縄権現堂に登っていく階段の両側の岩斜面には青銅で作られた三六童子の立像があちこちに立っています。 これらの童子達は、すべて不動明王の従者であり、ひとりひとりが1千万人の従者をもっていると仏説聖不動経に書き記されていいるそうです。 愛らしい姿に、自分や自分の子に似た童子を探す方達もいらっしゃいますが、実は、言ってみれば不動明王の精鋭部隊長とでもいうところでしょうか。(高尾通信より抜粋) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ とあり、36童子全ての名前とご真言が書かれていて面白い。 (http://www.takaosan.info/mame4-14.html) 高尾山薬王院へ到着 下記公式サイトでは薬王院境内でのおすすめパワースポットが解り易く紹介されている。 (公式サイト http://www.takaosan.or.jp/powerspot/index.html) 門では表に◎持国天(じこくてん) ◎増長天(ぞうちょうてん) 裏に◎広目天(こうもくてん)と◎多聞天(たもんてん)がするどい形相で迎える。 この形式は浅草寺と護国寺の時と同じフォーメーション。 例えば浅草寺では雷門は風神と雷神だが、裏面は広目天と増長天だったと記憶してる。 曖昧記憶なので、詳しく知りたい人はちゃんと調べて。 とにかく一つ目の門はこれらの天が迎え、二つ目の門では必ず仁王の阿(あ)と吽(うん)が来る。 その奥に本殿があるというフォーメーション。 これがスタンダードなのかな。 広目天や増長天などについては、手塚治虫先生の『火の鳥(太陽篇)』に登場してくるから、読んでみると面白いかもね。 尤も、『火の鳥』では悪役的な扱いでの登場だけどね。 古の宗教戦争のさまが解り易く描かれていて、おもしろい。 さて、高尾山といえば天狗。 天狗ってカッコいいよなあ。 本殿の彫刻。 日光東照宮とも比較されるそうな。 同じ職人さんの手によるものだそうだね。 これは僕がお金を洗っているところ。 ここでお金(硬化やお札)を洗って持ち帰って資本金にすると、成功する¥のだそうな。 僕は硬化とお札と財布を洗い、キャッシュカードを取り出してそれまで洗ったら女房に怒られた。 どうもすいませんでした。 こんどから絶対にキャッシュカードは洗いません。 どうもすいませんでした。 さて頂上だ。 ずっと動いていたから気付かなかったけど、こうやって立ち止まると少し肌寒い。 ほら、この先に、東京があるんだねえ。 不思議だねえ。 都心のビル群からほんの少し離れた場所に、こんなに自然に囲まれたパワースポットがあるよ。 さあさあ、お弁当。お弁当。 PR |
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2014 04,13 09:36 |
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スプリバーチという言葉をご存知だろうか。 なかなか耳慣れない言葉かもしれないが。。。 僕のメールボックスに2014年3月18日付のメールがある。 送り主は僕。 僕が僕に送ったメールだ。 その日僕はとっても気分の良い眠りだったのだと思う。 悪夢の多い僕だけど、なにかこう明るい感じの夢を見た。 一月も前の事になるので、詳細までは描写出来ない。 いや、描写しようと思えば小説のように作文すれば良いだけなので、描写出来ないわけではないが、それだと嘘になるのでやめておきたい。 とにかくその夢は、ある選挙で、ある若い議員が当選した夢だった。 (実際の僕はさほど政治に興味はない。) その当選記者会見のようすを見ていた。 どうやら異例の当選らしく、インタビュアーも興奮気味。 女性の議員だった。 四方から当選議員に向けてストロボの光が当てられている。 『当選されて今のお気持ちなどをお聞かせ下さい』 『はい。皆様のお力をいただけて当選する事が出来ました。今後は充分にスプリバーチ出来るように頑張っていきたいと思います。』 それで目が覚めた。 『スプリーバーチ?』 と思った僕は、ベッドの中から寝ぼけた目を擦りながら、枕元に置いてあった携帯電話で、自分のパソコンへメモを送信した。 翌日起きてから、そのメモを確認する。 Googleの検索、Yahooの検索にかけて調べてみたが『スプリバーチ』に関する検索結果はゼロだった。 ゼロ。 皆無。 。。。 素晴らしい!!! 『スプリバーチ』という単語は僕が夢の中で作り出した、史上初の単語と言えるだろう。 さて問題は。 その意味だ。 単語はあるのにそれに意味が無いということは 我輩は猫であるが名前がまだ無い事に等しい。 しかし我は人間であるが、その意味を知る人は少ない。 物事の本質が必ずしも『意味』にのみ宿るとは限らない。 この世の大半の出来事は意味は無く、極めて無責任に浮遊している。 『スプリバーチ』という単語の意味。 まあいい、それはこれからゆっくり考えよう。 時間はたっぷりある。 |
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2014 04,09 22:25 |
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浅草から銀座線。
銀座駅で日比谷線に乗り換え、日比谷にて下車。 次の目的地は『皇居』だ。 なんでも天皇陛下の傘寿(さんじゅ/80歳)を記念して,4月4日から4月8日までの期間、皇居内の乾通りが一般公開されていた。 前日にたまたまテレビのニュースで流れていたのを耳にして、急遽予定を変更したのだった。 皇居の中に入れる機会なんてそうそう無いからね。 ちょっと面白いんじゃないか。 ということで、女房におにぎりと卵焼きを作らせて、バッグの中に仕込んでの 『春季皇居乾通り一般公開』 参加である。 日比谷線から皇居に向かって歩いていると、信じられない数の人の列があった。 『うわっ、あの行列がそうなんかなあ?こりゃ大変そうだ!!』 宮内庁の発表(宮内庁ホームページ)によれば、この日一日の一般参加者数は68,830人。 《下記、宮内庁の発表より》 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 春季皇居乾通り一般公開の参入者数(平成26年) 4月4日(金)54,140人 4月5日(土)90,990人 4月6日(日)81,820人 4月7日(月)89,280人 4月8日(火)68,830人 合計 385,060人 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 5日間の総数が385.060人! ひょえー。。。。。 皇居入り口付近で軽く手荷物検査と身体検査。 そして門をくぐる。 『こんな中、お弁当を食べる事が出来るかねえ。。。?』 女房と心配になって顔を見合わせる。 お弁当食べて、『この不敬日本人!!』とか言われたらどうしようか??。。。。(笑) 『まあ、お弁当は皇居を出てから食べますか。』 皇居内は多くの樹木がこの日の陽光を浴びて輝いておりとても綺麗だった。 満開の桜。花吹雪。 しかしむしろ僕は松に心奪われた。 水飲み場の前で、警察官の人が案内してる。 『水分補給の必要な方だけお並び下さい。ただの水道水です。特にご利益はありません。』 周囲がどっと笑った。 皇居といえば江戸城。 じつはこの日参加したことの理由の一つは、建築の細部や装飾を見てみたい、というのも目的だった。 江戸城、おそらく天守閣跡と思うその巨大な石組み(石垣)を見て驚かずにはいられない。 その美しさ。 マヤ文明やエジプト文明がよく巨石文明で取り上げられるけど、なんの、日本の築城の技術もスゴい。 妻が日差しよけのために僕のストールを頭に被って石組みの前で写真を撮ったら、そりゃもうどこか異国の巨石遺跡のように見えた(笑) 石組み(石垣)に関して言えば ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 戦国時代に城郭が発達するとともに石垣も発達し、全国各地に穴太衆・越前衆・尾張衆・長袖衆など石垣衆という石工集団が現れ、建築を担った。(wikipedia抜粋) ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ とあり、上記の中の穴太衆(あのうしゅう)などは古墳築造などを行っていた石工の末裔であると言われているそうな。 江戸城の石組みがそれに当たるかどうかは、勉強不足のため解りませんけど。 そういえば、先日、吉村作治先生がエジプトのピラミッド群と日本の神社の構造の類似点を述べていたテレビ番組があったけ。 こんな技術を見ると、案外そういう地球規模での技術の継承というのはあったのかもしれないな、と思う。 展望台から東京を眺める。 昔は,,どのような眺めだったろうね。 それがね、見えるような気がするんだ。 というわけで、初めての皇居内散策だったわけだ。 え? 弁当? ちゃんと食べられましたよ、皇居内で。 みんな桜の下に腰を下ろし、夫々が持参したお弁当を広げてた。 いろいろと不穏な時代に生きているなと感じる昨今だが、なにかこう、得体の知れない巨大な優しさの中にもいるなと、とも感じるんだ。 時代はどのように動くか誰にも解らない。 ただ、日の光や暖かさは、感じようとしなければ気にならず通り過ぎるのみ。 どんなに小さなことでも、その日に起こった嬉しさや楽しさは、感じようとすることが幸せでいる秘訣なのかもしれないな。 -おわり- 【FNNnewsCH】天皇陛下の傘寿を記念、桜が咲く皇居内の乾通りを一般公開(14/04/04) |
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2014 04,08 22:22 |
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おや?エレファント・サンティエがいるぞ? 今日、4月8日は灌仏会(かんぶつえ)といい、お釈迦様の誕生日だそうで、この日の浅草寺は『花まつり』。 今、制作中の作品の原作にこのシーンが盛り込まれていて、ずっと体感してみたいと思っていた願いがやっと叶った。 って事で本日も浅草は大賑わい。 さっきの象はお釈迦様を乗せて仲店通りを子どもたちと練り歩き。 午前10時から法要があるので、本堂へと小走り。 やっぱり15分の遅刻。。。 本堂での法要は一般公開されていて、誰でも入る事が出来る。 特に仏教徒というわけではない僕でも一応中に入る事が出来た。 今回の作品、作画は終えているとはいえ、劇中の雰囲気をもう一つ掴むには、やはり体感するしかなかった。 嘘をつくには、真実を知らねばならない。 時空を超えて、映画の中のキャラクターになった気分だった。 『ここにあの子たちがいたんだな。。。』 そう、ざっと300年前になるだろうか。 こちらの関係者にも声をかけてあげてツアーを組もうかな、とも考えたのだが、ちょっと気分に浸りたかったのと、この後のスケジュールが超過密であった事、諸処の理由からそれは断念した。 午前11時に法要を終え、本堂を後にする。 参道では子どもたちが歌を歌い、『花まつり』を盛り上げていた。 小さな花見堂の中にお釈迦様が立っている。 そのお釈迦様に皆我先にと甘茶をかける。 浅草寺のホームページの説明を読むと、 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ 『お釈迦さまは、今から約2500年前の4月8日、インドの北方ルンビニでご生誕されました。故事によるとお釈迦さまご誕生の際、天から九頭龍が舞い降りてきて甘露を灌いだといわれています。これにちなんで、日本ではお釈迦さまの誕生仏に香水を灌ぐ儀式が行われてきましたが、江戸時代からは香水に代わって甘茶を灌ぐようになりました。(抜粋)』 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ とある。 甘茶はちょうどお線香のような香りがしていて、それが若干僕には強い。 お釈迦様の頭から『甘茶をかける』とは言ったものの、四方八方から伸びてくる柄杓は時折ぶつかり、お釈迦様の頭やら手やら肩を打つ(笑)。 かわいそうに、お釈迦様本日が誕生日であるというのに、今夜はたんこぶだらけかもしれないね(笑)。 ほらほら、遠くにスカイツリーが見えるよね。 しかしこの象の表情がなんとも、、、、好みだ。 先週も来たアイスクリームの店へ。 『先週来た時にはおじちゃんが売ってたんだけどね。おじちゃんが写真撮ってブログに載っけろって言うから書いたよ(笑)』 おばちゃんが大笑い。 『売り上げ伸びたでしょ?先週は日本酒アイスだったけど今日は桜アイスちょうだい。』 ああ、桜のアイスクリームもおいしいね! こいつはあれだ、桜餅の味だ。 というわけで午前中には浅草を後にし、次の目的地へ。 この続きはまた明日。 |
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2014 04,07 10:28 |
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神社には様々な愛され方があると思う。 ここ埼玉県 白岡市 の久伊豆神社は、数ある神社の中でも本当に幸せだなあと思う神社。 何しろ素朴。 そして、今この時代でも神社が地域の『遊び場』であることだ。 幾度となく足を運んでいるけど、とくに祭りという特別な行事でなくとも子どもの走り回る声が絶えたことがない。 僕らが子どもの頃、神社というものは確かに遊び場だった。 神社に行こう。 神社でかくれんぼ。 神社で笑って、神社でカラスが鳴けばさようなら。また明日。 神社は神事を行う場所というより、地域の一部であり友達と同じだった気がする。 いくつかの暗黙の規則はあったよね。 神社に向かっておしっこをしてはいけません。 当たり前の事だけど、神様がいるからね。 大きく腫れ上がってしまうぜよ、と。 遊んでいると時折カランカランと鈴の音、パンパンと手を合わせる音。 見ると、買い物帰りのおばさんが参拝している様子。 大声を立ててはいけません、と言われた記憶はない。 大いに大声で元気に遊べば良い。 走り回って、声が枯れるまで笑って。 それが神社だった。 今になって思えば、ほんと神様とよく遊んだよねって思い出ばかり。 さて、この久伊豆神社は今でも神様と人が『遊ぶ』幸せな場所だと感じる。 今回、ここで伝統芸能の獅子舞があるというのでやってきた。 豊作を祝い、疫病退散を祈願するための奉納の舞いなのだそうだ。 数年前までは2年に一度、近年になって1年に一度と頻度を増し、今年のそれは市を絡めた少し規模の大きなものに発展していた。 細々と伝統を守り続けた人たちの甲斐あってか、また昨今のブームのような風にのってか、瀕死であった伝統芸能に再びのスポットが当たり始めた事は、守る側にも見る側にも喜ばしい事だ。 満面の桜の中に土俵が位置し、鳥居から境内の細長い道を獅子がゆく。 時折、思い出したかのように吹く風に無数の花弁が乱舞する。 その様はどうみても『祝福』というより他の表現が見当たらない。 おそらく神社というものにとって、素朴な日常こそ幸せというものなのだろうなと思う。 人に愛されて、人が集う場所。 日々の祈りは必ずしも特別な祈りとは限らない。 健康でありますように。 豊かでありますように。 そして、集約するなら広義の意味で 『あした天気になあれ』 そこに帰結するのかもしれない。 僕の生まれ故郷の神社は近年随分と寂しげになったものだよ。 神社よりも楽しい場所が見つかったのか、とにかく今の日本は楽しい事で一杯だからね。 それもいい。 ただ神社はそのあいだも、いつでも僕らの暮らしを静かに見守ってくれている。 そしていつかまた、神社がにぎわう時代もやってくる。 そのくり返しなのかな。 神社が僕らの生活を見守ってくれているならば、僕らも神社の幸せを願わずにはいられない。 神社で遊ぼうよ。 神様といっしょに。 きっと神様もよろこんでくれるんじゃないかね(笑) |
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