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2011 07,03 11:18 |
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作家の秋之桜子さんの大ファンで、その最新作『蟻』が上演されるというので、新宿ゴールデン街劇場へ行ってきた。
この町並みも久しぶり、懐かしい。 桜子さんの描くものは笑いからドロドロ劇まで多岐にわたるわけだけど、それにしてもここ最近のドロドロ具合といったら、おそらく書いているご本人がこの世界にハマりまくっているのでしょうな、と思う次第。 で、その具合が僕には非常に心地の良いものであったり。 ただのドロドロではない。 しっかりとしたエンターテイメントで1時間半を魅了させてくれる。 きっと僕はこういう作家さんを待っていた。 妙にカテゴライズされない自由で豊かな作家。 舞台劇には色々ある。 必ずしも巨大なカンパニーが面白いかというとそういうわけではない。 巨大なカンパニーはそれなりにお金の自由が効き、それなりの役者を揃える事が出来るだろうが、ここ最近思う所は、それ故の甘えも同時に持ち得る危険もある事だ。 そんな時、こういった小さなプロデュース公演を目の当たりにすると気概の差を思い知らされる。 昨夜の舞台『蟻』もそういう気概で溢れていた。 役者、演出、照明、音響、そのどれをとっても隙がない。 特に(おそらく照明の範疇にくくられると思うが)映像。 抽象的に投影される映像のイメージは、変に対象物を具体的に見せる事よりもより壮大な世界観へ誘ってくれた。 そして役者一人一人の眼光。 役者というのは、自分が役者であることのモチベーションを保ちつづけるのが役者たる所以。 一般人と役者の違いは何かと聞かれれば、そこにあると思う。 そのモチベーションと言うのは数年、或は数十年、積み重ねるごとに皺を増し、次第に役者独特の化け物の顔になっていく。 このunkusというユニットもそういう暗闇に光る化け物の眼光で溢れていた。 一人一人の役者が各々に彩を放ち、1時間半の生命を全うしていた。 終演後、役者の皆さんに誘われ、飲み屋へ行った。 会場には山像かおりさんもいらしていたようだったが、思い切って秋之桜子さんに話しかけてみた。 『今回は敢えて役者本人が"自己紹介"で物語を紡ぎ出していく方式をとったの。』 なるほど、脚本は一般的には"説明的"と言われるこういった方式をとらないのが現代演劇の通例だったりする。 それで、どこかシェークスピア的な、古典劇的な印象も受けたわけだ。 され故に、個々の役者の言葉に"重戦車"のような重厚感がある。 思うに"世の通例"というものは飽くまで通例なのであって、けしてそれに縛られるべきではない。 政治だってそうだ。 イデオロギーと言うものはただの通例であって、それにしばられる一本気な(笑)人がいるから『それはイデオロギーに反する』なんていう愚かしい発言が飛び出してくるわけだ。 人間の発想は常に自由であるべきだ。 そしてカテゴライズされるべきではない。 それが必要なのは総じて『商売人』である場合だ(商売人が悪いという意味ではない。)。 "通例"や"イデオロギー"といったものが導き出すものは、メソッド化された"様式"に他ならない。 創作の範囲に於いては、これらから敢えて離脱する事も、自由な物語へのアプローチなのだと思う。 『何か一緒にやりたいわね。』 『ハイ!是非!』 ずっと思っていた。この作家の作品を表現してみたい。 いつ実現出来るか。 それは未だ解らない。 しかし、そう考えるだけでワクワクする。 それで昨夜は懐かしいメンツにもたくさん会って話をする事が出来た。 みんな元気そうで、相変わらず陽気であり妖気、そしてエロかった。 =============================== ◎ unks第3回公演『蟻』 作 秋之桜子(羽衣1011) 演出 高橋正徳(文学座) 2011年6月29日(水)~7月5日(火) 新宿ゴールデン街劇場 チケット予約 http://p.tl/SptH 詳細 http://p.tl/WcSO PR |
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