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2011 04,10 16:11 |
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時計の長針はおおまかな時を、短針はその時と時の狭間を表していることは周知の事実だが、ある種の時計には中針というものが存在することを大抵の人間は知らない。
この中針の存在を知らないからと言って自分を責める必要はない。 その針は人間の目には映らないように巧妙に隠されているからだ。 ではこの時計の中針は何を示すか。 それは時間の横軸。 我々の、前に進むこの時間と平行に流れる別の時間軌道への距離を示す針なのだ。 全ての中針は、時計の盤面と垂直に設置されている。 『別の時間軌道』については中世の科学者によって発見されていたが、我々の生活においてあまり必要がないことと、他時間軌道と交わることの危険性が問われ、やがて廃れた。 実は我々は、この『別の時間軌道』を「見る」ことが出来る。 それは鏡を使うことだ。 鏡に映った自分は、自分のように見えるが、あれは『一つ向こうの時間軌道』の自分、つまり他人なのだ。 鏡がもう一つあるならそれらを向かい合わせに。 いくつもの時間軌道を確認する事が出来るはずだ。 『手前から数えて100人目は自分の死に顔、、、』という迷信があるが、迷信に過ぎない。 実際は『手前から数えて100列向こうの時間軌道に生きる、自分に似た誰か』という考え方が最も真実に近いと言えるだろう。 さて、この『鏡を使った実験』によっていくつもの他時間軌道を実際に視認することが出来たわけだが、これらは『時間の交差点』と呼ばれ、他時間軌道同士が同じ時間点上に存在する瞬間である。 逆を言えば『時間の交差点』上にいない場合、他時間軌道同士が視認し合う事は『現在の科学』では不可能である。 鏡は鏡は時間の交差点上に置かれた面会窓と考えると分かり易い。 鏡を使わなければ互いを視認することは出来ないが、視認出来ないだけで各々の時間は経過している。 また時間軌道たちが同じ行動をしているとは限らない。 こちらの軌道では本を読んでいる瞬間だとしても、ある時間軌道上ではコーヒーを嗜む瞬間かも知れない。 また別の時間軌道では自分は髭を剃っている瞬間なのかも知れない。 確実なのは、『時間の交差点』が訪れる瞬間だけ同じ行動をとる、という自然界の約束である。 時計の中針は、そういった時間軌道たちの存在と座標を示すものだ。 いつの日か、時間軌道同士の交流が持てる時代が来るかもしれない。 時間軌道上の自分同士の交換留学が可能になる日が来るかもしれない。 そうなった時、諸君らは別の時間軌道の諸君から何を学ぶだろうか? 窮地に立った時、別の時間軌道にいる自分はどんな判断を下すのか。 そしてどのような結果を得ていくのか。 そういったことを学ぶことによって、『過ちが繰り返される』ことはなくなるかもしれない。 この研究は、我々の更なる進化へ向けて希望の光を与える重要な研究である。 今は残念ながら、我々は『自分のこと』しか見つめることが出来ない。 他時間軌道を研究することは、我々自身を研究することなのだ。 これらの研究を諸君ら『これから先を歩む』若き研究者に託したい。 難しい研究ではあるが、常に『未来は豊富』に用意されているのだ、縦にも横にも。 諸君らに希望を託して、この講義を終わる。 尚、明日の講義は急な職員会が入った為、自主研究時間とする。 有意義に過ごすように。 時間もまた、有限の資源である。 PR |
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