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2011 03,14 06:02 |
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※googleの人探し ツール Person Finder (消息情報)
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ http://japan.person-finder.appspot.com/ =============================== 塩化ビニールの円盤が音を紡ぎ出していた。 ぷつぷつと心地よい雑音を伴って。 円盤の回転は過去から未来への橋渡し役であり語り部。 【君は麗しの80's】である。 父や母を思うとき、僕は本当に幸せな幼年期を過ごさせてもらったのだと思う。 いや、そんな事を理解し始めたのはほんの最近かも知れない。 幼年期と言えば、父母共働きだったので、ぼくは母方のおばあちゃんに預けられる事が多かった。 僕が20代の頃に他界したんだけどね。 いやあ、元気で頭の良いばあちゃんだった。 将棋を教えてくれたのもばあちゃん。 ばあちゃんちで一人で遊んでると、『Shiroちゃん、プールが出来たよ』とばあちゃん。 僕はフ◎チンになってお風呂場へ行く。 ばあちゃんが水中メガネとシュノーケルを僕に渡してくれる。 僕はそれらを装着して、たしか、、、、たしか記憶が正しければロボットかサイボーグになったんだと思う。 ばあちゃんは台所へ戻る。 僕は『広大な』プールで、水中の冒険をする。 ひみつ兵器はたくさんあるぜ。 消しゴムのスーパーカー。 消しゴムのスーパーロボット。 そんで悪いやつはいねえかパトロールするんだ。 思えばあの頃のオイラの方が今の僕より強かったのかもな(笑)。 だってテレビでお化け屋敷のCMしてて、『絶対に捕まえてっくる!!(捕まえてやる)』って息巻いた事があった。 まあ、その結果としては、、あまりの恥ずかしさに割愛させていただきたい。 ばあちゃんは習字の先生をしていたから、沢山いろんな賞状(トロフィーとかタテ)があった。 その中の一つを手に取って言うんだ。 『ばあちゃん、これちょうだい。』 もちろんばあちゃんは僕にそれをくれるんだけど、今思えば非常に可笑しい。 僕が穫った賞でもないのに、僕はその賞を部屋に誇らしげに飾ってた(笑)。 いつの頃からだったかな? 僕はあんなに好きだったばあちゃんとケンカをするようになったんだ。 『Shiro!親に心配かけやんな(心配をかけるな)!』 『Shiro!ずんだれちょっど(服装が乱れてるぞ)!』 『Shiro!』 『うるせえ。』 と僕。 10代はもうガミガミ言われた記憶ばかり。 そしてついに、 ばあちゃんちの2階で起こられていたとき、僕は禁断の言葉を吐いたんだと思う。 何て口走ったかは覚えていない。 でも確かに、 怒ったばあちゃんが追いかけて来る。 僕は半分おもしろがって逃げ回る。 階段にさしかかる。 階段を下りるスピードだけは絶対にこちらが早い。 と、 後方でガッシャーン!!て音がした。 ばあちゃんが階段から落ちたのだ。 僕は真っ青になって近寄った。 『大丈夫けばあちゃん。。。。』 『このバカたれが、あいたたた。。。』 幸い、怪我はなかった。 僕は急にこう、、、恥じた。 恥じた。 ばあちゃんが初めて年寄りに見えた。 さて、そんなばあちゃんを思い出すとき、同時に記憶を回転する料理がある。 じつは今回の『君は麗しの80's』、音楽ではない。料理である。 僕はばあちゃんの炊くご飯は柔らかくてお粥のようだったし、料理も甘くてあまり好きではなかった。 でも、これだけは大好きだったっていう料理が1つある。 それは『カミナリ豆腐』だ。 僕が20代の半ば頃、一人暮らしをしていた時に、急にばあちゃんの『カミナリ豆腐』が恋しくなって、でもその料理の名前を知らなくて。。。 田舎の母親に電話をかけて聞いた。 『ばあちゃんが作るあのおかず、何け?こうぼろぼろの豆腐で、、、こうご飯にかけて、、、』 『ああ、カミナリ豆腐ね。』 母が言う。 『ばあちゃんに聞いてごらん。』 で、ばあちゃんに電話をかける。 『ばあちゃん、カミナリ豆腐の作り方教えて』 『ないごてね(何故だ)ばあちゃんがもういっきひっけ死んで記録をとっちょるんけ(おばあちゃんがもうすぐ死ぬから記録を取ろうとしているのですか?)』 『うん(笑)。』 『まっ(笑)こんガンタレが(この不良が)。』 そんな笑いの数日後カミナリ豆腐のレシピが届いた。 それを記憶に忠実に書く。 □用意するもの 豆腐1丁、ネギ、醤油、サラダ油 □作り方 (1)豆腐は布巾で包んで、押して水分を吐き出させておく。 (2)ネギは輪切りで刻んでおく。 (3)フライパンにサラダ油をしいて充分熱する。 (4)フライパンに豆腐を四角いまま入れる。ジャー!!!!とカミナリのような音がなるから『カミナリ豆腐』 というそうだ。郷土料理でもなんでもない、そう呼んでいるだけの事。 (5)すぐに木べらで豆腐を砕く(麻婆豆腐のように)。 (6)ネギ/醤油で味付け。 これ温かいご飯にかけて食うと旨いんだよ。 残念ながら写真は無い。 今日は作らなかったから。 数年後、ばあちゃんは他界した。 ものすごく安らかな、幸せな死だったそうだ。 仕事をキャンセルして、タクシーに乗って羽田まで。 そして飛行機。 タクシーの中で僕は涙が止まらなかったっけ。 まるで水中にいるようなかんじ。 そう、ばあちゃんが小さな風呂桶で作ってくれた広大なプールの中にいるような。 僕はシュノーケルをつけて水中メガネのロボットだ。 探しているのは。。。 そのとき探していたのはばあちゃんだ。 水の中でばあちゃんを捜していた。 かろうじて通夜には間に合った。 その後簡単な料理だから、ばあちゃんの味に近づけるのにそう時間はかからなかった。 今では僕のレパートリーだ。 残念ながら家族以外にふるまった事は無い。 ふるまう程のものではないからだ。 数日前の地震で多くの方々が亡くなった。 今も亡くなり続けている。 僕らはどうする事も出来ない。 『カミナリ豆腐』さえ食えない地域もある。 僕らは今、何も言ってあげられない。 ごめんなさい、 それしかいえない。 また、これらは過去形ではない。 そして、他の地域の事でもない。 ものすごい不安が日本列島を覆っている。 ばあちゃんの『カミナリ豆腐』の味。 それはとてもあたたかな真心の味なんだ。 食料調達だって困難な中、失礼な言い方になるかも知れないが、 是非試して欲しい。 今ではなくても。 是非食べてみて欲しい。 そしてこれも。 先日Twitterの中でこんな呟きがあった。 『友達に子供が産まれた』 と。 こんな中でも産まれ続けている。 PR |
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