2025 01,18 14:03 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2010 11,06 05:18 |
|
バラバラになった記憶のカセットテープを繋ぎ合わせてみよう。 回転の中には《過去》と絶妙のバランスを保った《未来》が隠されている。 自分は何者なのか、何の為に産まれてきたのか。 今一度過ぎ去りし日々を思い返し、再び明日を歩く為に。 『君は麗しの80's』だ。 砂時計は今夜、自分の高校時代の出発点に置く事にした。 不安や希望や、何をその胸に抱いていたろうか。 砂の彼方に見えるんだ。 過去の自分が。 のってきたので今夜も赤裸々にいくつもりである。 高校に入り、僕らがまずした事。 バンドを作った事。 コピーのパンクバンドだ。 自分たちのバンドだけではなく、その周囲たるやまさにチンドン屋。 時はバンド戦国時代である。 イカれた集団だった(笑)。 僕はギターで、別の中学からきたHくんがボーカル、そしてベースに、ドラム。 H君とは親友になった。 赤裸々にいく。 H君は日本人だが、どういう言い方をすれば良いのか、血は(こんな言い方しか出来ない自分を許してほしい)日本人ではなかった。 血は純粋な韓国人。 しかし、僕らと同じようにここで生まれ、ここに育って、僕らはここで出会った。 はっきり言って、僕らにはそんなこと全く関係がなかった。 僕の母親は言った。 『あんたたちまるで兄弟のようやね。』 出来の悪い僕に比べてHくんは頭が良くて(否、訂正。そこそこ頭が良く、笑)、同じように悪さをして、同じようにイカレているのになぜHくんが比較的良いクラスにいたのかは、影で努力していたからなんだろうなと思う。 僕は芯からイカレていたので今でもこの有様。。。 僕らがやった悪行の数々は(笑)割愛させていただきます。 君の事を何と呼べば良いのかね? 君の名前はまさに悪友。 そして悪友に勝る親友だ。 バンドをやってたおかげで、僕らホントにモテた(爆)。 よくまああんな時代があったもんだ。 『ライブ』っていう商売。 今考えりゃ、なんだ、案外しっかりしてんじゃん? 当時はライブハウスなんてなかった。 なんてったって田舎。 あったのはライブハウスまがいの営業していないホテルの宴会場、それからかつてはレジャーハイツだった廃屋。 そんなとこでライブをした。 期末テストの勉強? いいや、オレッチにはこれしかねえんだよう。 って学校をさぼって昼頃までギター弾いてた。 だから学校に行って、階段のとこで先生と出くわして間髪入れずにビンタ。 そんなのざらだった。 いつも行くうどん屋さんがあって、そこで皆でうどん食べていたら、仲間の一人が血相変えて店に入ってきて、 『やべぞ! ◎◎(生活指導の先生の名前)が来っど!!』 『やべ!』 ってんでぼくらは逃げる。 何故逃げるかは想像にお任せするとして、うどん屋のおいちゃん」が 『こっかい逃げろ!(ここから逃げろ)』 って言って窓を開ける。 僕らは一斉に窓から飛び出す。。。 それから、ぼくらの高校時代には常に『廃屋』がつきまとっていた。 たまり場と言えば谷底にある『廃屋』。 だるま池っていう幽霊も出そうな木造の廃屋。 死体が浮かんでいそうな池に面し、周囲は森で囲まれていて、外界とは完全に遮断されていた。 廃材を集めて焚き火をして、くつろいだ。。。 地球は僕らの周りを回っていたんだ、きっと。 あれはたしか、昭和天皇が崩御された日だった。 だるま池に僕はH君と二人いた。 そしてその時の社会情勢やなんやらかんやら、僕らの幼稚な可愛らしい意見を交わし合っていた。 まるで深みのない僕らの政治談話。 それから、やっぱり好きなコの話。 笑い話に笑い話。 云々。 そして話は昭和天皇崩御の話題へ。 『どげん思う?』 『知らんどん、他ん国ん人にいちいち言われるこたねやろ。』 みたいな(深みのない幼稚な)会話をして、僕は池に向かって大声で叫んでいた。 差別する言葉を。 ハッと我にかえった。 H君と顔は合わせない。 H君がぽつりと言った。 『おいが韓国人って知ってる?』 『知ってる。』 沈黙。 『ごめん。』 『よかよ、気にしちょらんで。』 『そんなのおいたちには関係ねやろ。』 『うん。』 それからいろいろ話をした。 現在に至る政治問題のはなしやなんやかんや。 それについてどう思うかなんて話ではなくて。 言える事は、僕は彼の事が好きで(Likeね)、彼もまた僕の事が好きだった。 確認しなくてもそれだけは判っていた。 そして、今ある夕闇が、これほどにきれいな夕闇が『卒業』という言葉といっしょに終わるんだということ。 夕闇には今ではうつろな記憶でしかないにおいと音があって。 毎日毎日がその時既にアルバムのようで。 僕らの行動の一つ一つが伝説になっていく。 そんな青臭い時間を噛み締めながら、僕らは卒業する。 H君は熊本へ、僕は福岡へ。 地元での別れの日、僕とH君は泣きながら抱き合った。 『死ぬなよ。』 『いつかきっとまた会うが!』 なんともまあ大袈裟な言葉。 『Aさんに告白したと?』 そして赤裸々な状況説明。 『よかったね。』 『おいたち偉れえなっが!(偉くなろう)。』 『20年後どげんなっちょいやろか?』 『おいは高層ビルが職場や。』 『左手には携帯電話やっど。』 『右手にはブランデーじゃ。』 『白いガウンを羽織ってよう。』 『全部リモコンで動かすんや。』 夢を語り合った。 『まこち体大事にせんといかんど。』 『そっちも。』 何度も何度も固く包容して、涙で自分の温度が判らないくらいだった。 それほどに、別れが辛かった。 それほどに世界が小さかった。 二度と、、会えない。 そんな気がしてたんだな。 帰り道、僕はこんな事を思い出していた。 あるバンドの練習の帰り道。 H君と自転車で田んぼ道を走りながら、ラフィンノーズの『聖者が街にやってくる』を大声で歌ったこと。 口にしていたガムを天高くプッと吐き出す。 ガムは宙を踊り、自転車で走る僕らの頭上を共に走り、そして落下。 また僕の口の中に戻ってくる。 そしてまたプッと吐き出す。 また戻ってくる。 出て行く。 戻ってくる。 おいたちはまた戻ってくる。 ここへ。 そしてまた再会するんや。 家に帰ると、いつものように母の夕飯のにおい。。。。 さて、涙の別れとは裏腹に、一月後僕らは再会していた(爆笑、早!)。 でもそれはかつての場所ではなく、遠く離れた場所で。 おそらく、その時に『地球のホントの大きさ』ってもんを知ったのかも知れない。 再会の時。 ほんの一月しか経っていないにも関わらず、また僕らは泣いた。 今度は笑いの止まらない涙だった。 ケタケタケタケタ! 今、クリエーターの僕は当時を顧みた時、あれを越える感動と笑いを作った事がない。 リアル。 僕らはリアルだったと思う。 夜空にいつまでも響く笑い声。 そして涙。 時間が止まったように。 いつまでもいつまでも。 別の駅で。。 LAUGHIN'NOSE SOS TOUR #3 http://www.youtube.com/watch?v=WQ8DLyRtW7g ←バックナンバー PR |
|
コメント |
おはようございます。
当時の素敵な思い出を、このように書けるのがうらやましい・・・ 自分の思い出とリンクしながら、こちらも感動できました。 【2010/11/0609:49】||デリシャスカレー#56ac7fbce3[ 編集する? ]
>デリシャスカレーさん
こんにちは(^_^)
いつもいつもありがとう御座います。 楽しんでいただけて嬉しいです。 それからご自身の思い出とリンクして読んでいただけたり。 思い出がいろんなひろがりを見せるようでとても嬉しいです。 『君は麗しの80`s』シリーズ、歩みは遅いですがまだま続きます。 生きてきた分だけネタがありますからね!! (^▽^) |
17個 の青春~~♪
素敵な想い出~~♪ 【2010/11/0900:33】||angel#99b324af20[ 編集する? ]
>angelさん
うん。
そっか17個。まだ17個。もう17個。 そんな時代。 そんな時代があったんだよね、確かに。 |
コメント投稿 |
|
trackback |
トラックバックURL |
忍者ブログ [PR] |