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2010 07,26 07:35 |
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山像かおり っていう女優さんが好きです。
女優としても人間的にも。 その山像かおりさんは秋之桜子っていう劇作家さんの芝居に出る頻度が高いです。 そんでその秋之桜子さんの作品も自分は大好きなのでありましてね。 あんまり面白いんでいろいろちょっかい出してたら、昨年末の公演『純情姉妹繁盛記』で、オープニング映像を任されました。 そりゃあもう嬉しくてうきうきしながら作ったのがまるで昨日の事のよう。 そんな2人がまた芝居をやるってんで一昨日見てきましたよ。 秋之桜子さんの作風はと言えば、いままではコミカルな、そしてどこか人情味のある情景、そんなイメージを自分勝手に持っていたんですな。 ところが一昨日見た作品はとてもシリアスなもので、まずびっくりした。 一人の作家がこれほど作風を使い分けられるものなのか、って。 中には少し(少しどころじゃないかも)エロいシーンがあったりするんだけど、これがエロくは感じないんだな。 暴力は暴力でしっかりとドラマと共存していて。 っていうか秋之さんが暴力を描いたってのも、自分的には大変な驚きでした。 暴力、好きですよ。 嫌いな人いますか? こころの奥の方で悪魔が笑うのを感じた事のない人っていますか? いたとしたら、それはきっと聖人かなにかだと思う。 だから世の中どこか調和がとれてるんだよ。 小さい暴力、大きな暴力、いろいろあるね。 それはきっと人間の本質なんだと思う。 嘘だと思ったら、古代ローマの闘技場で人が殺し合うのを何万、何十万の人が熱狂したか、またその熱狂がどの程度のものだったか思い出すと良い。 いや、現代はローマとは違う。 本当にそうか? 現代には理性が君臨するか? 本当にそうか? 僕はそうは思ってない。 見てみてよ。 大国と言われる国々を。 ローマそのものじゃんか。 そんな状態が決して良いものだとも思わない。 矛盾してるけど。 だから表現をする。 それが表現をするときの自分の原動力の一つだったりもする。 この芝居の中で『文学なんでくそくらえだ。僕はもうそんなひ弱な手段はいらないんだ』っていう台詞がモロに印象に残りました。 ものすごい重みを持って。 そりゃあ今現在に於いて自分自身が薄々感じていたからなんだと気付くのにそう時間はかからなかった。 この芝居の舞台となるのは昭和初期。 文学に憧れ、文学に溺れ、文で世界を動かそうとしていた時代。 当時で言うマスコミなんでしょうね。 時代というものによって描かされる文学、時代というものによって封じ込められる文学。 どんなふうに揺り動かされて作品を作るのか。 今の時代も同じようなもんさ。 終演後、山像かおりさんと秋之桜子さんにお会いした。 いつものように笑顔で『ありがとう』って。 しかし今回は笑顔の裏に妖気を感じた。 すぐに理解出来た。 きっと桜子さんは悪魔を見た。 悪魔と対話したんだな。 まいったな。 じぶんはまた秋之桜子って作家にのめり込んでしまいそうだ。 なぜって、表現なんてものは天使が微笑んだときよりも悪魔が囁いたときの方が面白かったりするんだ。 さて、この芝居は8月1日まで。 見応えのある2時間の大河ドラマだったさ。 時間あったら見てみないかい? (^_^) 山像かおりさんのブログ http://kaoriokaki.exblog.jp/14262695/ PR |
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コメント |
終わったの。じわじわ終わったの。
で、俳優さんたちから、全員から「ありがとう」のメールがきて、いい歳して泣いちゃった。こんな機会がこんなに早くくるなんて・・・びっくりで。 そして、ブログにも書いたけど はっきりと「作家」でも「脚本家」でもないことに気付かされた 私は遊んでいるよ 悪巧みしたりもしつつ ほんわかもしつつ 九月はほんわか、悪巧みでいきます! いっぱいいっぱい話したい!! ありがとうありがとう Re:ありが10×1万回
じ、じわじわと終わったんですか!!??
それは形容詞ですか?それとも終わって『じんわり』という感嘆詞??(笑) いいですね。泣けるだけつっぱしった証拠。 さて、新たな企みですか。 いっぱいいっぱい話しましょう。 いつでもお待ちしていますよ。 (^_^) |
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