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2010 05,14 06:06 |
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思い出は死にゆくものにあらず。 思い出は未来を再び照らし出すためのカンテラだ。 過去に置き忘れたもの、未来に持ってゆくもの。 全てが均衡を保って共存してこそ、はじめて《自分》という個体となる。 だから音楽を聴いては、その一つ一つに瞬間を刻みつづける。 『君は麗しの80's』だ。 記録によれば前回の更新が2008年の11月。 ざっと約1年半が過ぎた訳だ。 月日の経つのは速いもので。。 なぜ久しぶりに書く気になったかと言うと、先日、昔の友人が自分の日記でファルコのロックミー・アマデウス(これこのコーナーでやらなければと思ってた。)を紹介していて、その懐かしさたるや。。。もう。。 そして再び過去と現在について考えなければ、という気持ちになった訳で。 赤裸々にいこうよ。 さて、そろそろ時計の針を戻そう。 僕は煙草の味も酒の味も知らない中学生。 友人たちの間でサバイバルゲームが流行っていた。 ベレッタやウージーを巾着袋に入れて自転車のかごに入れて山へ行く。 およそ5対5くらいの人数で山の上と下に分かれて、ロケット花火で戦闘開始の合図。 都会の子たちはこんなこと出来なかったろうね。 田舎であればこそだ、と思う。 BB弾は当たると血豆が出来るほどだったし、ロケット花火や爆竹も武器の内だった。 次第にエスカレートして保護マスクや軍パン、でも上半身はタンクトップ、、、みたいな。 それはきっと異様な光景だったろうね(笑)。 ぼく?僕はM-16ポンプアクション(名前覚えてる)だった。 どれだけ武器や衣装がエスカレートしていこうと、変わらないものがあった。 それは、銃を入れる巾着袋。 無造作に自転車のかごに投げ込み、移動する為の、巾着袋。 これも忘れてはいけない当時の流行。 この巾着袋。 好きな女の子に作ってもらう。 ぼくもいくつか作ってもらった。 え? はい。それぞれ違った子だったと記憶している、、います。 思えば、僕が好きになってつき合った女の子って、大概僕とつき合う直前まで誰かの彼女だったりしたんだよね。 なんかこう、引きずってる子たち。 甘酸っぱさを含んだミステリアスに弱かったんだな、きっと。 そう言った意味じゃ、02(ゼロツー)だったのかも(笑)。 だから、別れ話はいつも唐突。 自宅の黒電話(ダイヤル)が鳴る。 僕はそれをとる。 Eちゃんだ。 うきうきする。 彼女は黙っている。 僕も黙る。 2人とも黙る。 空気が流れる。 僕が黒電話の受話器のくるくる配線をこねくり回していると、やがてEちゃんが口を開く。 『あんね。(あのね)。。。』 『あん?』 『大事な話しがあっとよ(大事な話があります)。。。』 1時間後、若い、恋を知らないような恋人2人はサバイバルゲームの山にいた。 2人きり。 記憶の中では夕暮れだ。 ネズミがピーナッツをかじっている形の滑り台があって、それはその山の公園のシンボル。 僕らはネズミを背に町を一望していた。 隅から隅まで見渡せる小さな町。 そんな小さな町にも通る列車。 その列車の音は聞こえるのに、僕たち2人の周りからは音が消えたよう。 やがて、沈黙に耐えきれずに僕が口を開く。 『Mの事が忘れられんちゃろ(Mのことが忘れられないのでしょう)?』 いや、バカ。 なんでそんな事言ったのだろうか? 3時間でも5時間でも、彼女が口を開くのを待つべきだった。 彼女はうつむいていたと思う。 だってどんな表情だったか覚えてない。 まあこれだけの年月が経てば覚えてないのも当然だろうけど。 それにしても思い出せない。 正確には表情が掴めなかったんだと思う。 夕暮れと、彼女の顔にかかった髪で。 彼女はうつむいた頭をさらに深く、コクリと頷きながら、 『うん。』 と言った。 『やっぱしねー。』 僕は笑いながら、、腰が抜けそうな、、泣きたいような。 いやちょっと泣いたかも。 そのあと、2人は短い思い出話をして、それは思い出の中で一番長い、記憶に残る時間になった(僕のなかでは。。)。 僕はその子に作ってもらった巾着袋にM-16を入れて、自転車のかごに放り込み、友達と一緒に山へ行く。 山は愛でも戦争でもいいよ、といつも僕らを見守っていた気がする。 そのころ狂ったように聞いてた音楽。 僕らは戦士だった。 恋の。。。。 PAUL HARDCASTLE A1 19 (Extended Japanese Mix) ←バックナンバー PR |
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