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Let's put a new coat of paint on this lonesome ol' town. Set 'em up we'll be knockin 'em down. You wear adress baby,I'll wear a tie. We'll laugh at that ol' bloodshot moon In that burgundy sky(TOM WAITS).
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2014
11,16
00:32
スターウォーズ レイア姫 /エレキテル草紙
CATEGORY[☆日記]
『持論/レポート』最終日
以前、作品制作の為に百人一首や万葉集を調べていた時、『星』に関する歌が異常なまでに少数であることに気付いた。
幾万の星は、僕からすれば何がしかを作る際に格好の題材。
困った時は『星』だろうという感覚がある。
なのに、星を詠んだ歌というのはごく少数の異色作だった。
浮世絵にも同じ事を発見した。
『星』が描かれていない。
何故だろう。
そんなところから、今回の持論を展開させたい。
僕はオリンピックが好きだ。
否、オリンピックの開会式が好きだ。
スポーツなどあんなものは飾りだ。
オリンピックの開会式というのは開催国の威信を賭けた壮大なプロジェクトであり、唯一無二、一世一代のエンターティメント。
そんな中でも僕が最も興味を引きつけられるのが、各国選手が入場の際に誇らしく掲げる『国旗』である。
国旗というのは、見ているとじつに面白い。
それは、大まかに2つのものに分類出来ると僕は思っている。
(1)哲学を色になぞらえ、パターン化されたもの。
(2)信仰をデザイン化し表現したもの。
(1)には例えばロシア、ドイツなど。赤を使用する場合、その国で起こった独立革命の血の色になぞらえる事は多い。
(2)は、この中でまた大きく分類出来る。
◎キリスト教(十字架)信仰(または過去の英国領)
◎自然信仰
◎動物信仰/或は象徴としての動物
こんな感じになるだろうか。
日本の国旗は『自然信仰』、つまり太陽(天体)を表現したものと解釈している。
日本と同様に天体信仰(自然信仰)の国旗は多い。
トルコは月だし、月と星の国があったり。
兎に角、興味を持って見ていると、日本という国は基本的には自然、それも天体にひと際影響を及ぼす太陽を特別視しているのだな、と思う。
それは日本の神話で語られる通りだ。
イザナギが禊いで生まれいでるのがアマテラス、ツクヨミ、スサノオの3柱の神だ。
これを『三貴神』としている。
そしてその三貴神の中のアマテラスを国家形成の拠り所としたのだろう。
アマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)ときてスサノオ。
これはまず疑問に思うところだ。
スサノオは天体ではないのか?と。
話を元に戻そう。
浮世絵を見ていて、太陽や月が頻繁に登場するのは、そういった天体信仰が影響しているのかもしれない。
しかし逆に星の登場頻度(浮世絵における)はほぼ皆無と言って良いわけだが。。。
現代の東京の我が家から夜空を見上げてみる。
都会ではまばらに星を感じる事が出来る。
それは点であり光りだ。
とても可愛らしくて綺麗だよ。
しかしこれが実家のある九州で見上げる夜空は同じ物とは思えない。
田舎で感じる夜空の星は単なる『点』ではない。
それは明らかに『天体』と呼ぶべきもので、今ここにいる自分もこの宇宙の一員なのだと感じずにはいられない。
町灯りのベールを脱ぎ捨てた夜空(星空)とはそういうものだ。
さていくら江戸というところが都会であったとはいえ、夜空が見えないほどの明かりが地上を覆い尽くしていたということはないだろう。(※江戸時代のみと限定しない、それ以前も含む)
ましてや江戸庶民の夜は早い。
となると、江戸の夜空は現代における田舎と同じように、星々が存在感を放っていたに違いない。
それを誰も見なかったとは言わせない。
見ていたのに、浮世絵にも描かれず、和歌にも詠まれなかったのは、僕には敢えて描こうとしなかったとしか思えない。
それは何故なのか?
これについてはおおかたの答えの一部は出た。
あるとき僕は自作品に於ける悪役(ヒール)のヒントを求めて『日本神道』を調べていた。
日本神道に於ける邪神とは何か?
面白い事が解った。
日本神道には、例えばキリスト教で言うところのサタンなどのように、邪神というものはほぼ登場しないらしいのだが、挙げるとすれば天津甕星(あまつみかぼし)という名前の元に僕は導かれた。
この神についてはwikipediaを参照されたい。
一部抜粋する。
=============================
(ここから)
星や月を神格化した神は世界各地に見られ、特に星神は主祭神とされていることもある。しかし、日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。これについては、星神を信仰していた部族があり、それが大和王権になかなか服従しなかったことを表しているとする説がある。
(中略)
葦原中国平定に最後まで抵抗した神ということで建御名方神と同一神とされることもあり、また、神仏習合の発想では北極星を神格化した妙見菩薩の化身とされることもある。
(ここまで)
=============================
如何だろう。
江戸を遡る事遥か古(いにしえ)の日本列島が、少しだけ霧の中に見えはしまいか。
僕には少し垣間見えた。
戦争(いくさ)だよ。
これについてはいろいろと思うところもあるが、ちょっと飛ばそう。
他民族国家日本と言う。
今の時代のことではない。はるかご先祖様たちの話。
いろんな説がある。
遠くペルシャからの来訪のことも聞いた事があるし、日ユ道祖論なんてのもある。
何も隣接した朝鮮半島と中国大陸だけではない。
もっとグローバルな我々の祖先の姿も充分に想定し得る。
敢えてもっと言おう。
口にすれば馬鹿にされるであろうムー大陸伝説、僕個人的にはそれすらも『無きにしも非ず』と思う。
何故現在の地図だけで物事を語ろうとする?
勿論学術的な根拠なんてない。
ただ、2011年の東日本大震災で町が波の下に沈むのを見て、そう思うに至った。
太平洋側、そちら側にかつて遥か昔、何かがあったとしても今なら信じられる。
不可思議でもなんでもない。
それはいわゆるオカルトで囁かれる、『大陸』の姿では無かったかもしれないが。
小さな島々が散在する形であったかもしれない。
文明というほど大袈裟なものではなかったにしても、文化のようなものがあったとか。
つい先日も、とある映画シナリオライターとこの話をしていた。
『環太平洋地域には不思議と似通った神話/伝説が散在する。』
のだそうだ。
太平洋を囲むように。
ならば太平洋を通じて文化の交流があったと考えてもおかしくない。
広大な太平洋を横断出来ただろうか?
それは現在の地図で語れば難しいだろう。
しかし、そこに陸地(中継地点)があったとしたらどうだ。
これらは解決する。。。。
とんでもない脱線をしたが、浮世絵に月が描かれない理由が少し理解出来た気がする。
さまざまな信仰のさまざまな部族(民族)がいた。
そんな中である時は血、ある時は握手(?)を交わしながら、太陽を中心とした国へなっていったのだろう。
『日本神話においては星神は服従させるべき神、すなわち「まつろわぬ神」として描かれている。』
そういう事だと思った。
だから、星を公然と語るという事はあまり縁起の良いものではなかったのかもしれない。
ただこれで全面的に解決したとは僕は考えていない。
大号令でもない限り、クリエイターが表現を敢えて避けて通ることはないと思う。
そこには何か大きな分岐点のようなものがあったのではないだろうか。
いくつか考えうるのだけど、これもまた別の機会に。
酒でも飲んだ際にお話ししましょう。
『倭国(和国)』と呼ばれた。
元来は蔑称であったらしい。
しかし『和』という言葉の持つ意味は現在に至り、様々でも、一定の方角を示している。
『和を以て尊しと為す』『和解』
など。
その意味の示す方角に、この国が形成されていった過程も見えるのではないだろうか。
2011年の大地震の後、ほどなくして小笠原諸島に一つの島が誕生した。
西之島とくっつき、今尚拡大している。
ニュースで見るたびに心が騒ぐ。
国産みの神話そのものじゃないか。
地球は絶えず変化している。
壮大な宇宙的な絵巻だ。
そう思う。
ここでハっとなる。
地球もまた天体の一部じゃないか。
太陽や月、星ばかり追いかけて足下を見ていなかった。
アマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)、だとすれば残るは我々のいる地球ではないか!?
我々も宇宙の一部。
とすると、古(いにしえ)の人は星空を見上げ、この地球を含め『立体的に宇宙を感じていた』ということになるのではないか?
見た事が無い筈の宇宙を、、、だ。
もう少し詳しく説明してみよう。
もし『大地』と呼ぶようにこの地球を捉えていたならば、太陽と月は天界(あちら側)、そして我々の大地(こちら側)、と2元的に考えるのが普通ではないのか?
僕が立体的だと言うのは、アマテラス(太陽)とツクヨミ(月)、そしてスサノオを大地と仮定した場合、この3柱を『三貴神』と称するように、3者を同列のものとして扱うのは何故だ?
それは『大地』という2元的な解釈ではなく、『地球』という立体的な『惑星』として捉えてるからではないか?
つまり『あちら側とこちら側』ではなく、大きな宇宙の中の3つの引き合う特別な天体が見えてくる。
真実は何処か?
ロマンというのはそれこそ宇宙のように広がっていく。
何故?何故?と疑問ばかりが浮かぶのに答えは永遠に閉ざされた門の彼方。
そして時間とは忘却の大河だ。
全ては泡と消え失せる幻想。
現在という現実を知っていればこそ、人は幻想に安らぎを求める。
楽しき哉。
即ち、浮き世(憂鬱な世)の幻想。
しかし、古(いにしえ)の人が星空を見上げ、現代人以上に『豊かに』宇宙というものを感じていたことだけは間違いないのだろう。
最後に大好きなアーサー・C・クラークの『2001年 宇宙の旅』からの一文(前書き)を抜粋して掲載しておきたい。
=============================
『なぜそのような出会いが起こっていないのか?われわれ自身が宇宙の門口に立っているというのに。』
本当になぜだろうか?
ここにあるのはそうした尤もな問いに対するひとつのありえる答えである。
だがお忘れなきよう。
これは単なるフィクションなのだ。
真実は例の如く、はるかに異様であるに違いない。
=============================
終わり
【後記】
本日で『エレキテル草紙』最終日とします。
まだまだ描いてみたい場面はある。
それはまた別の機会に。
最終日は『まつろわぬ星』。
そうデス•スターにしましたよ(笑)。
※(注釈)浮き世 (語源由来辞典参照)
浮世の「うき(浮)」は、「苦しい」「辛い」を意味する「憂し」の連用形「憂し」が本来の形で、平安時代には「つらいことが多い世の中」をいった。
http://gogen-allguide.com/u/ukiyo.html
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