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2014 02,13 07:31 |
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昔見た映画の中で、とある科学者の言としてこんな言葉が紹介されていた。 『大三次世界大戦の主力兵器はおそらく核だろう。それでも人類が生き残り、第四次世界大戦があったとしたら、その主力兵器はおそらく石だろう。』 映画の中ではっきりとした個人名を挙げてはいなかったが、これはたしかアインシュタインの言だったと記憶してる。 これを聞いたその当時、僕はたしか中学生くらいだったかな。 『なるほど』 と思ったものだ。 文明を、その痕跡から破壊する事の出来る兵器。 それは例え勝ったとしても、その後には何も残らない事を意味している。 しかし最近、僕はこのアインシュタインの考えには誤りがあったのではないかと思っている。 それは、第三次世界大戦の主力兵器は『核』ではないのではないか?という考えだ。 では、第三次世界大戦の主力兵器は何か? それは、『平和』だ。 僕のような陳腐な脳で語るに申し訳ないが、変人の世迷い言、戯れ言、SFと思ってもらえれば良い。 『平和』。 耳に甘美なその言葉。 その言葉には、かつての戦いの中で人が渇望したであろう血液の温度は、僕は感じない。 感じるのは冷酷な響きだ。 欺瞞。偽善。 『平和』と叫びかすめ取り、『平和』と歌いののしり合う。 考えてみた。 『平和』という言葉自体が武器であるならば、今まさに世界は戦争中である。 この兵器には基本的に予算は要らないが、計画を立て予算を割く国もあるようだ。 その効力は絶大。 なにしろこの兵器は使用すれば使用しただけ世界中から賞賛されるからだ。 そして確実に侵略の目的を果たしていくだろう。 目に見えた物質的な破壊はないだけで、実は文化やアイデンティティや様々なものが破壊される。 この兵器は『良心』の皮を被った悪魔の兵器だ。 しかし、悲しいかな、僕たちはそれでもやはり平和を望まずにはいられない。 平和という言葉を閉じ込めるべきではないと思う。 平和というものの本当の形。 平和を作る為の努力。 平和というもののあり方は、今この時代になって本当の意味を問われているのかもしれないな。 この言葉の武器に、この国はどうやって立ち向かっていくべきか。 いや、まあSFなんだけどね(笑)。 昨今のニュース等を見てるとね、そんな事も考えてしまう今日この頃。 PR |
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