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2012 11,10 17:13 |
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バラバラになった記憶のカセットテープを繋ぎ合わせてみよう。 回転の中には《過去》と絶妙のバランスを保った《未来》が隠されている。 自分は何者なのか、何の為に産まれてきたのか。 過ぎ去りし日々を思い返し、再び明日を歩く為に。 『君は麗しの80's』だ。 僕は子供の頃、転校続きだった。 父親(船乗りだった)の仕事上、港町を転々とする。 出会っては別れ、出会っては別れ。 前にもこのシリーズで書いたが、子供の頃の別れというのは永遠の別離のようなものだ。 子供の頃の僕にはこの日本列島はあまりにも巨大で、完全に子供のキャパシティーをこえていた。 泣いては笑い、泣いては笑い、たまに怒って喧嘩する。 飛行機、ブルートレイン、フェリー、etc。。 小学校低学年の頃、僕は横浜・磯子にいた。 兵庫・神戸からの転校だった。 転校生にとって辛いのはまず『ことば』だ。 横浜の友人にしてみれば平穏だった学校生活に、いきなり自分の事を『ワシ』と呼ぶ者が現れるんだから。 とうの本人にしてもこのギャップに感じつつ、しゃべる事がどうにも上手くいかない。 当然最初は変なやつと思われる。 しかしこの横浜の学校ではいじめられたという感覚は今も持っていない。 へんなやつだが興味がある。 そんな感じ。 そりゃあ僕も学習する。 次第に言葉にも慣れて、みんなと打ち解けてしまいにはアイドルグループを結成するに至った。 各々ローラースケートを履き、街を滑り抜け、クラスのお楽しみ会ではグループの新曲(すべて替え歌)を披露する。 『君は麗しの80's PART12』でこの頃について触れています。 >http://artmic8neo.blog.shinobi.jp/Entry/135/ ジャニーズのヒカルゲンジが世に登場する実に5〜6年ほど前になるだろうか。 まだテレビはマッチ、トシちゃん、ヨッちゃんが全盛だ。 そんな時期にローラースケートのアイドルグループを『運営』していたことを誇りに思う(笑)。 問題はあった。 それはここの学校は、ほんの少しでも女の子と話していたら 『女たらし!!』 と言われた事。 僕だけではなくみんな。 そういう風習のようなもの。 そんな中にあって、クラスに面白い女の子がいた。 僕の前にその子が座ってる。 美人だったと記憶してるけど、それが取り柄というわけじゃない。 物怖じしないのだ。 先に述べたように、ぼくらは少しでも女の子と話すと、、、っていうへんな風習があったけど、この子はおかまいなしだった。 何を言われても我関せず。言い返す事もない。 頭の良い子だった。 僕らは中が良かった。 珍品同士、気が合った。 勿論、小学校低学年なので恋とか愛とか、そういうものじゃあない。 ただおもしろかった。 授業中、後ろから僕がその子をつつく。 彼女は振り返る。 ぼくは自分の筆箱を開けて見せる。 その中には毛虫がいる。 彼女は『キャー』とも言わない。 どうすればこいつは何をかリアクションをするのだろうか? 僕は変な顔をする。 とっておきの顔だ。全部つぶれている。 すると彼女はそれ以上の顔をする。 そのあまりの変貌に僕は思わず大声で吹き出す。 僕は先生にしかられる。 もう今は彼女の名前は思い出せない。 美人だったと思う、、、と記憶しているのは、僕は多少その子に興味があったのだろう。 顔も、朧げな輪廓が残るのみ。 僕は数年後、この学校を出て行く事になるのだが、彼女は僕より一足早くその学校を後にした。 その切なさみたいなものも覚えてる。 僕はみんなの手前、さよならを言えない。 正直な友情よりも恥ずかしさの防衛本能が勝ってしまう。 最後にほんの少し話したい。 あちらもしきりに僕の事をチラチラ気にしているようだった、、、だとドラマになるんだけど(笑)、それは解らない。 僕はまともに顔を見ていないからね。 『あっそ、興味ないよ。』 敢えてそうしようと努めていた。 結局、僕らは最後の最後に何の挨拶もせず、永遠の別れをしてしまった。 僕は悔しかった。 そう、その感覚は覚えてる。 悔しかった。 なぜ、女の子と仲良くしちゃいけないんだ! もし僕がもっと強かったら、何も文句を言わせないのに。 僕がもっと正直だったら、それのどこが悪いと開き直れるのに。 僕があの時もっと大人だったら。。。 あの頃の我が家は、転勤続きの為、いろいろな物が無かった。 思い返す。 父親も母親も頑張っていた。 『貧しかった』という言葉を使いたくない。 僕は色々与えてもらった。 今この歳になって思う。 僕は『豊か』だった。 ただ、この頃の我が家はまな板の上に乗るほどの小さな白黒テレビしか無かった。 僕はその白黒テレビで『ガンダム』や色々なアニメ、特撮番組、映画を観た。 だから、僕の中で最初のガンダムの記憶は白黒で始まるんだ。 僕『ただいま〜』 母『おかえり、あれ?元気がないね?』 僕『何でもないよ』 僕は白黒テレビをつける。 80年代のウルトラマン、そうウルトラマン80の放送だ。 強くなりたい。 もっと強く、かっこ良く。 正直で、正義で、悪いやつらををばったばった倒すんだ。 そんな風に思っていた頃、この歌は僕の胸に突き刺さるように語りかけてた。 http://youtu.be/39vkhqjv7m4 きっといつかウルトラマンになるんだ。 そう思ってた。 ←バックナンバー PR |
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2012 04,24 01:28 |
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バラバラになった記憶のカセットテープを繋ぎ合わせてみよう。 回転の中には《過去》と絶妙のバランスを保った《未来》が隠されている。 自分は何者なのか、何の為に産まれてきたのか。 今一度過ぎ去りし日々を思い返し、再び明日を歩く為に。 『君は麗しの80's』だ。 もうどのくらい昔になるのか。 といってもこの話は80年代の話ではない。 最後の学生生活。その最後の一年だけを僕は東京で過ごす事になった。そう、留年したのだ。 とある事件から僕は右手を負傷、神経は切断。完治(いや、今でも完治していない)までは1年近くかかった為、僕は筆をとる事ができなかったし、何一つ自分で満足に出来ない、フラストレーションだらけの日々だった。 僕の右手から血の匂いが消えても、『見えない包帯』はけっして取れる事はなかった。 そんなこんなで留年し、最後の一年は東京に移った。 九州ではみんな兄弟のような友人たちばかりで、彼らと涙の別れをしたあと、はたしてこんな地で友達が出来るだろうか? いや、意固地な僕は、もう友達なんかいらねえし、って思ってた。 東京なんてどうせみんな冷めてやがんだろ? もやしみてえのばっかりなんだろ? 本気で笑った事なんかないんだろう? だから転校した新しい学校ではけっこうツンケンする、、、予定だったが。。 転校初日でごっそり友達が出来た。 というか、人気者になった(爆)。 デッサンの授業で先生が 『今日は転校生がいるからこの子にモデルをしてもらいましょう。コラ、ガムを出しなさい』 僕はガムをクッチャクッチャさせながらモデル台へ上る。 『けっ。』 でもちゃんという事をきく良い子だ。 で、その時にとったポーズが面白かったらしく(デッサンの授業らしくないポーズだった)、笑いが起きた。 授業が終わって席に戻ると、 『あんたおもしれえね。』 って声をかけたやつがいたので振り向くと、ピンクの長髪で目を隠したロックンローラーがいた。 それがTJとの最初の出会いだった。 TJを介して、ロックンローラー系の友人がいっぱい出来た。 それからアニメオタク連中。 ロックンローラー系とアニメオタク系のグループは不思議なバランスを保って共存してた。 ロックンローラー系は見た目は派手だけど、じつは泣き虫が多くて、アニメオタク系はあれこれ理屈ばっかこねてたけど、それはそれで仲良くて、結局四六時中一緒にいた。 中にABBっていう子がいて、彼女は僕らよりだいぶ年上。 美人で大人の魅力を放っていたっけ。 それで、ある日みんなで夜通し飲んだ時に 『カラオケいこーぜー』 ってなってABBの歌を初めて聞いた。 衝撃だった。 音程外しまくりの『夜明けのミュウ』 笑うべきか笑わざるべきか、それが問題だ。 みんなそんな顔をしていた。 ツンケンするはずだった東京生活。 でもいつの間にかいなくちゃいけない仲になってた。 抜歯の直後で医者に禁じられてるにも関わらず熱海の温泉に行ったし(その写真で僕は青ざめた顔で映ってる)。 遊んだ遊んだ。 道路のど真ん中で取っ組み合いの喧嘩もした。 時には子供みたいに大声で泣いてみたり。やっぱり道路で。 都会には道路しかなかったから。 『おれあの子好きなんだ。』 『え?俺も。。。』 『。。。』 なんて事もあった。 まあその話はまた別の機会に。 とにかく、いくつもの忘れられない感情の激しさと、宝物のような時間を過ごしていた。 一年なんかあっという間に。。 すぐに卒業。 卒業の頃には僕の右手の『見えない包帯』もなんとなく取れたように思えた。 卒業の日、僕らは満開の桜のように散った。 朝までの数時間。 可能な限り散った。 数ヶ月後、僕らは再会する。 仲間の一人が一本の映画に携わった事から、みんなでその映画を見に行こうという事だった。 その映画は、出来映えは微妙だったけど、友人を誇りに思うには充分だった。 その映画で流れてた曲。 GRAYの"Rain"だ。 ◎東宝映画『ヤマトタケル』主題歌/Rain 希望だけじゃない。 大いに打ちのめされて、 そんな傷はなにも永遠に苦しみつづけるものではないのに、 それでもどうにも胸が張り裂けそうなことばかりで。 僕が感じた東京はとても熱かった。 とても暖かいものだった。 危険なものだった。 とてもおもしろい奴らだった。 新宿の雑踏、池袋駅前いけふくろう、渋谷スクランブル、上野のイラン人。 人が歩く歩く。 夫々の人生を抱きながら。 じつはみんな張り裂けそな感動を抱きながら。 今年も桜は一瞬にして去った。 美しさを人の記憶に残して。 気流に抗いながら、時には受け入れながら、 舞い上がっていくのを今年も見た。 ←バックナンバー |
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2010 11,06 05:18 |
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バラバラになった記憶のカセットテープを繋ぎ合わせてみよう。 回転の中には《過去》と絶妙のバランスを保った《未来》が隠されている。 自分は何者なのか、何の為に産まれてきたのか。 今一度過ぎ去りし日々を思い返し、再び明日を歩く為に。 『君は麗しの80's』だ。 砂時計は今夜、自分の高校時代の出発点に置く事にした。 不安や希望や、何をその胸に抱いていたろうか。 砂の彼方に見えるんだ。 過去の自分が。 のってきたので今夜も赤裸々にいくつもりである。 高校に入り、僕らがまずした事。 バンドを作った事。 コピーのパンクバンドだ。 自分たちのバンドだけではなく、その周囲たるやまさにチンドン屋。 時はバンド戦国時代である。 イカれた集団だった(笑)。 僕はギターで、別の中学からきたHくんがボーカル、そしてベースに、ドラム。 H君とは親友になった。 赤裸々にいく。 H君は日本人だが、どういう言い方をすれば良いのか、血は(こんな言い方しか出来ない自分を許してほしい)日本人ではなかった。 血は純粋な韓国人。 しかし、僕らと同じようにここで生まれ、ここに育って、僕らはここで出会った。 はっきり言って、僕らにはそんなこと全く関係がなかった。 僕の母親は言った。 『あんたたちまるで兄弟のようやね。』 出来の悪い僕に比べてHくんは頭が良くて(否、訂正。そこそこ頭が良く、笑)、同じように悪さをして、同じようにイカレているのになぜHくんが比較的良いクラスにいたのかは、影で努力していたからなんだろうなと思う。 僕は芯からイカレていたので今でもこの有様。。。 僕らがやった悪行の数々は(笑)割愛させていただきます。 君の事を何と呼べば良いのかね? 君の名前はまさに悪友。 そして悪友に勝る親友だ。 バンドをやってたおかげで、僕らホントにモテた(爆)。 よくまああんな時代があったもんだ。 『ライブ』っていう商売。 今考えりゃ、なんだ、案外しっかりしてんじゃん? 当時はライブハウスなんてなかった。 なんてったって田舎。 あったのはライブハウスまがいの営業していないホテルの宴会場、それからかつてはレジャーハイツだった廃屋。 そんなとこでライブをした。 期末テストの勉強? いいや、オレッチにはこれしかねえんだよう。 って学校をさぼって昼頃までギター弾いてた。 だから学校に行って、階段のとこで先生と出くわして間髪入れずにビンタ。 そんなのざらだった。 いつも行くうどん屋さんがあって、そこで皆でうどん食べていたら、仲間の一人が血相変えて店に入ってきて、 『やべぞ! ◎◎(生活指導の先生の名前)が来っど!!』 『やべ!』 ってんでぼくらは逃げる。 何故逃げるかは想像にお任せするとして、うどん屋のおいちゃん」が 『こっかい逃げろ!(ここから逃げろ)』 って言って窓を開ける。 僕らは一斉に窓から飛び出す。。。 それから、ぼくらの高校時代には常に『廃屋』がつきまとっていた。 たまり場と言えば谷底にある『廃屋』。 だるま池っていう幽霊も出そうな木造の廃屋。 死体が浮かんでいそうな池に面し、周囲は森で囲まれていて、外界とは完全に遮断されていた。 廃材を集めて焚き火をして、くつろいだ。。。 地球は僕らの周りを回っていたんだ、きっと。 あれはたしか、昭和天皇が崩御された日だった。 だるま池に僕はH君と二人いた。 そしてその時の社会情勢やなんやらかんやら、僕らの幼稚な可愛らしい意見を交わし合っていた。 まるで深みのない僕らの政治談話。 それから、やっぱり好きなコの話。 笑い話に笑い話。 云々。 そして話は昭和天皇崩御の話題へ。 『どげん思う?』 『知らんどん、他ん国ん人にいちいち言われるこたねやろ。』 みたいな(深みのない幼稚な)会話をして、僕は池に向かって大声で叫んでいた。 差別する言葉を。 ハッと我にかえった。 H君と顔は合わせない。 H君がぽつりと言った。 『おいが韓国人って知ってる?』 『知ってる。』 沈黙。 『ごめん。』 『よかよ、気にしちょらんで。』 『そんなのおいたちには関係ねやろ。』 『うん。』 それからいろいろ話をした。 現在に至る政治問題のはなしやなんやかんや。 それについてどう思うかなんて話ではなくて。 言える事は、僕は彼の事が好きで(Likeね)、彼もまた僕の事が好きだった。 確認しなくてもそれだけは判っていた。 そして、今ある夕闇が、これほどにきれいな夕闇が『卒業』という言葉といっしょに終わるんだということ。 夕闇には今ではうつろな記憶でしかないにおいと音があって。 毎日毎日がその時既にアルバムのようで。 僕らの行動の一つ一つが伝説になっていく。 そんな青臭い時間を噛み締めながら、僕らは卒業する。 H君は熊本へ、僕は福岡へ。 地元での別れの日、僕とH君は泣きながら抱き合った。 『死ぬなよ。』 『いつかきっとまた会うが!』 なんともまあ大袈裟な言葉。 『Aさんに告白したと?』 そして赤裸々な状況説明。 『よかったね。』 『おいたち偉れえなっが!(偉くなろう)。』 『20年後どげんなっちょいやろか?』 『おいは高層ビルが職場や。』 『左手には携帯電話やっど。』 『右手にはブランデーじゃ。』 『白いガウンを羽織ってよう。』 『全部リモコンで動かすんや。』 夢を語り合った。 『まこち体大事にせんといかんど。』 『そっちも。』 何度も何度も固く包容して、涙で自分の温度が判らないくらいだった。 それほどに、別れが辛かった。 それほどに世界が小さかった。 二度と、、会えない。 そんな気がしてたんだな。 帰り道、僕はこんな事を思い出していた。 あるバンドの練習の帰り道。 H君と自転車で田んぼ道を走りながら、ラフィンノーズの『聖者が街にやってくる』を大声で歌ったこと。 口にしていたガムを天高くプッと吐き出す。 ガムは宙を踊り、自転車で走る僕らの頭上を共に走り、そして落下。 また僕の口の中に戻ってくる。 そしてまたプッと吐き出す。 また戻ってくる。 出て行く。 戻ってくる。 おいたちはまた戻ってくる。 ここへ。 そしてまた再会するんや。 家に帰ると、いつものように母の夕飯のにおい。。。。 さて、涙の別れとは裏腹に、一月後僕らは再会していた(爆笑、早!)。 でもそれはかつての場所ではなく、遠く離れた場所で。 おそらく、その時に『地球のホントの大きさ』ってもんを知ったのかも知れない。 再会の時。 ほんの一月しか経っていないにも関わらず、また僕らは泣いた。 今度は笑いの止まらない涙だった。 ケタケタケタケタ! 今、クリエーターの僕は当時を顧みた時、あれを越える感動と笑いを作った事がない。 リアル。 僕らはリアルだったと思う。 夜空にいつまでも響く笑い声。 そして涙。 時間が止まったように。 いつまでもいつまでも。 別の駅で。。 LAUGHIN'NOSE SOS TOUR #3 http://www.youtube.com/watch?v=WQ8DLyRtW7g ←バックナンバー |
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2010 05,15 21:38 |
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バラバラになった記憶のカセットテープを繋ぎ合わせてみよう。 回転の中には《過去》と絶妙のバランスを保った《未来》が隠されている。 自分は何者なのか、何の為に産まれてきたのか。 今一度過ぎ去りし日々を思い返し、再び明日を歩く為に。 『君は麗しの80's』だ。 時計の針を戻そう。 僕は高校1年生。 僕がHさんの事を好きになった理由は、今考えれば本当に奇妙な理由だった。 バレンタインにチョコレートをもらったから、だった(笑) おとなしい子で頭が良くてバレー部のスポーツマン。 僕はと言えば脱色したもじゃ髪にワタリのある学生ズボン、自転車はカマキリ(爆)という絵に描いたような。。 およそこの二人は釣り合わない事でしょう。 Hさんが、『放課後帰らないで待ってて。』と言う。 普段おとなしい子が、恥じらいを見せながらそんな事を言うんだから。。 ぼくはもうそれだけでも何かしらを期待してしまって、胸のドキドキで心臓が落っこちちゃうんじゃないかと。 その日は当然放課後まで、その事ばっかり考えて、何も手につかない状態だったと思う。 そして放課後になり、友人たちが帰っていく。 僕はHさんとの約束通り教室で待つ。 Hさんは多分バレー部の用事か何かだったと思う。 『お?帰らんとけ? (あれ?帰らないのですか?)』 友人が言う。 『うんにゃ、後から行っけん。ハシモッで待っちょっくいやん。(いいえ、後から参ります。ハシモトで待っていてください)』 ハシモトというのは定食屋さんで、僕らのアジト(笑)でした。 友人たちが1人また1人といなくなり、、教室に僕は一人。。 窓からは夕焼けの赤が広がる。 さあ、そろそろHさんが来る。 そして、来た。 廊下から気配がする。 僕は、気付かないふりして窓から外を見ている。 後ろからポンと肩を叩かれる。 それで僕はすごくびっくりした(ふり)をする。 振り返る。 Hさんの夕闇に染まった顔。 『ハイ。』 といって、Hさんは僕にチョコレートを渡した。 。。。。なんですか。。この状況は。。? とてもかわいく思えた。 『え?なんで?』 そんなズルいことばを言ったはずだ。 Hさんは僕の事が好きなのだと言った。 で、その日はそれで教室を後にした。 Hさんの家は学校から近かったので、送って、それでハシモトで友人たちと合流した。 ずっとドキドキが止まらなかった。 きっと明日からの一日一日はきっと楽しいものに違いない。 僕らはつき合う事になった。 つき合うと言ってもお互いの気持ちを確認出来てると言うだけで何が起こる訳でもない。 とてもプラトニックな、、。 あの日。 当時は空前のバンドブーム。 僕もやっぱりバンドでギターをやってた。当時と言えばラフィンノーズ、ブルーハーツ、ボウイ、ジュンスカ、etc。。 地方のバンドコンテストの決勝の日。 僕らのバンドは予選落ちだったから、友人たちのバンドの決勝をHさんと見に行った。 その日がHさんと初めての、学校の外でのデートだった。 Hさんの私服姿がまたまぶしくて。 僕はHさんが隣にいるのに、近くにいるような遠くにいるような。 友人たちのバンドの音なんてまるで聴いていなかった。いや、見てたけど。見えてなかった。 Hさんはキラキラした目で演奏を聴いているみたいだった。 友人たちの演奏が終わる。 『どげんやった? (どうでしたか)』 演奏の事を友人が僕に聞く。 『おお! よかったど! 』 うそばっかり。 聴いてなかったくせに。 そのあと、僕とHさんは自転車で帰った。 それから3日もたたないうちだったと思う。 家の黒電話(ダイヤル式)が鳴った。 そう、あの忌まわしい黒電話。 僕は受話器を取る。 Hさんだ。 無言。 ぼくももう大人だ。 この無言が何を言いたいか察した。 そして案の定。 『話しがあるの。』 さあ、、、、どうしましょうか。。。どうしましょうね? どう、、すれば、、いい? かくして僕ら二人は裏山の公園に居た。 そう、その公園は中学の時の、あの別れの公園。 町は夕闇。 そこで、別れ話とあいなりにけり。 きっと明日からの一日一日はきっと陰鬱なものに違いない。 翌日、友人がHさんに何故別れたのか、僕の了解もとらず聞きに言った。 Hさんはこう言ったそうだ。 『好きな人がおる。』 と。 その人の事がずっと好きだったのだそうだ。でも気持ちを伝える事は出来ず。。 もう諦めていたのだと。 なんと、Hさんの好きな人と言うのは、バンドコンテストに出てた友人バンドのベース弾きだった。 『えええええ?』 そう、最初で最後のデート。。 だから、あんなにキラキラしてたのか。。。 『じゃあなぜアイツと付き合ったのか?』 と友人は聞いてくれたそうだ。 彼女はこう答えたらしい。 『Tくん(そのベース弾き)とアゴが似てたから。。。。』 このHさんとの一部始終を、友人は少しも笑う事なく、深刻な顔で僕に伝えてくれた。 『アゴ。。かあ。。。』 『アゴ、、らしい。。』 なんですか?これは? それ以上何か言えますか? 僕はけっして猪木ではありません。 その夜僕は屋根の上で泣いた。 僕の部屋は2階にあって、机の前に窓があった。 窓を開けると屋根に出る。裸足でね。 瓦の屋根。 良くそこで煙草を吸った。 屋根の上のヤンキー。 風が冷たいのに、泣いているから体は熱い。 涙も。 鼻水も。 涙でぼんやりした星をずっと眺めてた。 こんな歌を口ずさみながら。 JUN SKY WALKER(S) - すてきな夜空 【PV】 後日談だが、そのベース弾きとは大人になった今、親友になった。 同じ店でバーテンをしてた事もある。 数年前は夫婦4人で部屋をシェアして一緒に暮らしていた。 田舎を離れて、今近所に住んでいる。 人生とは、、なんて奇妙な。 こう思う。 あの日、あんなに素敵な夜空を見れて本当に良かった。 ←バックナンバー |
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2010 05,14 06:06 |
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思い出は死にゆくものにあらず。 思い出は未来を再び照らし出すためのカンテラだ。 過去に置き忘れたもの、未来に持ってゆくもの。 全てが均衡を保って共存してこそ、はじめて《自分》という個体となる。 だから音楽を聴いては、その一つ一つに瞬間を刻みつづける。 『君は麗しの80's』だ。 記録によれば前回の更新が2008年の11月。 ざっと約1年半が過ぎた訳だ。 月日の経つのは速いもので。。 なぜ久しぶりに書く気になったかと言うと、先日、昔の友人が自分の日記でファルコのロックミー・アマデウス(これこのコーナーでやらなければと思ってた。)を紹介していて、その懐かしさたるや。。。もう。。 そして再び過去と現在について考えなければ、という気持ちになった訳で。 赤裸々にいこうよ。 さて、そろそろ時計の針を戻そう。 僕は煙草の味も酒の味も知らない中学生。 友人たちの間でサバイバルゲームが流行っていた。 ベレッタやウージーを巾着袋に入れて自転車のかごに入れて山へ行く。 およそ5対5くらいの人数で山の上と下に分かれて、ロケット花火で戦闘開始の合図。 都会の子たちはこんなこと出来なかったろうね。 田舎であればこそだ、と思う。 BB弾は当たると血豆が出来るほどだったし、ロケット花火や爆竹も武器の内だった。 次第にエスカレートして保護マスクや軍パン、でも上半身はタンクトップ、、、みたいな。 それはきっと異様な光景だったろうね(笑)。 ぼく?僕はM-16ポンプアクション(名前覚えてる)だった。 どれだけ武器や衣装がエスカレートしていこうと、変わらないものがあった。 それは、銃を入れる巾着袋。 無造作に自転車のかごに投げ込み、移動する為の、巾着袋。 これも忘れてはいけない当時の流行。 この巾着袋。 好きな女の子に作ってもらう。 ぼくもいくつか作ってもらった。 え? はい。それぞれ違った子だったと記憶している、、います。 思えば、僕が好きになってつき合った女の子って、大概僕とつき合う直前まで誰かの彼女だったりしたんだよね。 なんかこう、引きずってる子たち。 甘酸っぱさを含んだミステリアスに弱かったんだな、きっと。 そう言った意味じゃ、02(ゼロツー)だったのかも(笑)。 だから、別れ話はいつも唐突。 自宅の黒電話(ダイヤル)が鳴る。 僕はそれをとる。 Eちゃんだ。 うきうきする。 彼女は黙っている。 僕も黙る。 2人とも黙る。 空気が流れる。 僕が黒電話の受話器のくるくる配線をこねくり回していると、やがてEちゃんが口を開く。 『あんね。(あのね)。。。』 『あん?』 『大事な話しがあっとよ(大事な話があります)。。。』 1時間後、若い、恋を知らないような恋人2人はサバイバルゲームの山にいた。 2人きり。 記憶の中では夕暮れだ。 ネズミがピーナッツをかじっている形の滑り台があって、それはその山の公園のシンボル。 僕らはネズミを背に町を一望していた。 隅から隅まで見渡せる小さな町。 そんな小さな町にも通る列車。 その列車の音は聞こえるのに、僕たち2人の周りからは音が消えたよう。 やがて、沈黙に耐えきれずに僕が口を開く。 『Mの事が忘れられんちゃろ(Mのことが忘れられないのでしょう)?』 いや、バカ。 なんでそんな事言ったのだろうか? 3時間でも5時間でも、彼女が口を開くのを待つべきだった。 彼女はうつむいていたと思う。 だってどんな表情だったか覚えてない。 まあこれだけの年月が経てば覚えてないのも当然だろうけど。 それにしても思い出せない。 正確には表情が掴めなかったんだと思う。 夕暮れと、彼女の顔にかかった髪で。 彼女はうつむいた頭をさらに深く、コクリと頷きながら、 『うん。』 と言った。 『やっぱしねー。』 僕は笑いながら、、腰が抜けそうな、、泣きたいような。 いやちょっと泣いたかも。 そのあと、2人は短い思い出話をして、それは思い出の中で一番長い、記憶に残る時間になった(僕のなかでは。。)。 僕はその子に作ってもらった巾着袋にM-16を入れて、自転車のかごに放り込み、友達と一緒に山へ行く。 山は愛でも戦争でもいいよ、といつも僕らを見守っていた気がする。 そのころ狂ったように聞いてた音楽。 僕らは戦士だった。 恋の。。。。 PAUL HARDCASTLE A1 19 (Extended Japanese Mix) ←バックナンバー |
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