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2010 05,28 01:47 |
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問題のデザイン。 色んなパターンで千葉あきっていう人物像を洗い出していく。 プロデューサーの三村さんの言葉を思い返しながら。 『一風変わったアニメーションにならないものか。』 それは僕も気持ちは同じだった。 僕は三村さんにこう聞いたのを覚えてる。 『三村さん、例えばどんな感じですか?』 『うん。ぼくは竹久夢二がすごく好きでね。』 で竹久夢二の絵を研究した。 何枚も模写したり、どうせ発表するわけじゃないから、大いにパクって描いてみた。 そうやって夢二風のデザインもできた。 でもこれ、問題点があった。 夢二の絵はそのほとんどが横顔なんだよね。 正面もあるし、自分でも正面顔をデザインしたけどしっくり来なかった。 当然、僕が下手だからだ。 『三村さん、三村さんって例えばどんなアニメーションが好きなんですか?』 すがるような気持ちで聞いてみた。 なにか答えが見つかるかもしれない。 『最近ハマったのではファンタスティック・プラネット。』 『フぁ、、、ファンタスティック・プラネット〜!!??ですか!!??』 『知ってる?』 『は、はい。DVD持ってます。。とても好きです。』 まあこの線は間違ってもないだろうと思った(笑)。 すくなくとも今回の『算法少女』では。 デザイン案は続く。 どうもしっくりこない。 しっくりくる、って思うのは、いわゆるどこかで見たキャラクターだったり、また到底恋出来そうにない(僕がね)ものになってしまう。 けっして漫画風、テレビアニメ風をバカにするわけじゃない。 だってあれってすごいんだ。 まず、、、アート風のキャラをこしらえて、それを効率的に動くように突き詰めていって、突き詰めていって、削って増やして、ああこれは良いとおもったらジブリになってたり(ジブリは大好きだし憧れだ)。 つまり、現代において、あらゆるデザインはもう出し尽くされている(アニメ界で)。 それだけ日本のアニメの水準って高いんだ、って思い知らされた。 そんな中で、プロデューサーの要望を満たすイメージは出来ないものか、もう試行錯誤。 あれやこやを繰り返すも、どこかこういわゆるメソッド通りのキャラに。。。 そんなある日、カレンダーを見た。 それは妻が好みで今年選んだカレンダーで、我が家ではこれに予定等書き込む書き込む。。。 そのカレンダー、『モジリアニ』だった。 ぼくはそれ見た時に、なんだかいけるって思って、一つ描いてみた。 それがたしかこの一枚だったと思う。 目。。 ぼくはキャラクターから瞳を奪った。 決心がもう大揺れに揺れた。 目を奪うという事は、表現方法を失うことだ(アニメとして動かす上で)。 きっと難しい事になる。。。 でも、ぼくはこれでいきたかった。 なぜなら、ぼくはこの娘に恋をする事が出来ると思ったから。 プロデューサーの三村さんに見せた。 『うん。いいねっ。とても良い落としどころだと思うよ。』 この一言で、千葉あきのデザインが大きく前に動きはじめた。 PR |
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2010 05,26 06:00 |
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『P-LABO映画祭2009』が終わってから、僕は仕事で作画作画の毎日だったわけよ。 そんなある日、三村さんからEメールが届いた。 『まあ、読んでみてください。』 見ると、企画書が添付されていて、それには『算法少女』って書かれてた。 企画書だから簡単なシノプシスがついてて、僕はそれをまず読んだ。 これが僕と算法少女のファーストコンタクト。 ぼくは 『面白そうですね』と答え、そのシノプシスの中に出ていた本多利明(本編にでてくる)の台詞に共感した旨を返信した。 ややあって、三村さんが千葉のリスーピアに出て来れないか?とおっしゃった。 聞くと、この映画の下準備のようなもので、和算の研究会のようなものを"取材"してみたいのだということだった。 和算を実際にやってるとこを見たかったので、ぼくも同行させていただく事にした。 お台場。 リスーピア。 まるで映画『AKIRA』のような世界観のビル(笑)。 超ハイテク。 僕らはそこで待ち合わせた。 当日初対面だった橋下さん、高野さんの4人で、和算の取材。。。 と、思っていたんだけど、なんと通されると僕たち4人にも席が用意され、教材がわたされた。 『あのー。。取材だと思ってました。。これ、参加っすね。』 僕は数学は大の苦手だ。 『ん?はは(笑)。。なんか、どうやら、、そうみたいね。。』 と三村さん。 えー。。。 周りを見てみる。 天才小学生でいっぱいだ。 そのかなり先頭の方の席。。 南無三と思いながら、授業を受ける事になった(笑)。 でも、結果すごく楽しくて。 へえーこれが和算。。 和算を使えば手品のような事が出来る。 2、3の質問で相手の誕生日を見事に言い当てたり。 今、何が食べたいかを当ててみたり。 まさに神業。 それでいてそれがすごく簡単なんだな。 かくしてその日は天才小学生たちと一緒に、わいのわいのと楽しんだわけ。 『あのー、三村さん、これなんかの形で関わらしてもらえませんか?』 『んー?関わるも何も、作ってほしいんだよね。』 さて、、、どうしましょう。 僕はそれまで20分を超える作品を作った事が無かった(いや、完成してないから今でもそうだ。しかし、2010.05.26現在、カット自体はその時間は超えた)。 『尺はどのくらいですか?』 『そうだね、だいたい予想するに1時間半くらいになるんじゃないかな?』 1時間半。 『納期はいつでしょうか?』 『3月までに出来る?』 3月!!!!!??? 準備諸々を含め4ヶ月。。。 無理だと思った。確信があった。でも 『いや、いつでもいいんだけどさ。』 と三村さんが付け加えたので、そうか3月でなくていいならやってみたい。 そんなこんなでいろいろなやり取りが数日続き、僕が算法少女を作る事になった。 三村さんはいわゆるテレビアニメのデザインをとらないでくれとおっしゃった。 一風変わったアニメーションにならないものかと。 御心配なく。 ぼくはテレビアニメの線、あれが出来ないアニメーション作家。 言っちまえばヘタクソ作家だ(笑)。 テレビアニメは極めて合理的で絵も洗練されていて。 日本が独自に培った独自の技術、世界に誇る技術だと思う。 しかし、そこにある種の"メソッド"がある事も見逃せない事実。 ぼくはこのメソッドを取り払って、独自のメソッドでいこうと思った。 メソッドは一定の"規格"をクリアするもので、三村さんの希望を考えた時、この規格はきっと余計なものになるだろうと思った。 まあ、これらのことについては後々思い知る事になる、それは後日書くとしよう。 それからはもう、デザイン案の日々。 いくらなんでもこれらはお見せ出来なかったりする(笑)。 それはそれは多種多様な『千葉あき』が産まれては消えた。 やけに大人なあき、いじわるそうなあき、あき、、え?これ何歳?etc... え?いや全部データはあるけどさ。そりゃあ見せらんねえ。。。 。。。いいや、人様には見せらんねえ。。。。 ま、とにかく今日ははいくつか出したデザイン案、そしてデモカットの中から、初期コンセプトアート・ビデオを見てもらおっかな。 これはこれで、なかなかかわいらしいと思うけど。 この頃は時間節約、作画枚数節約の為に15fps(1秒間に15コマ)でいこうと思ってた。これはぼくが『Elephant SANTIE』で使用したフレームレートだ。 キャラクターはこの時まだ確定されていない。 |
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2010 05,20 05:32 |
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昨夜のうちに、HP、ツイッターYouTubeへのアップ、そして連動、さっき全部終わった。。 という訳で、コンテンツとして立ち上がった『算法少女』計画。 ぼくのHPにはずっと『project π(プロジェクト・パイ)』なバナーが貼ってあって、工事中だったから、気になっていた人もひょっとしたらいたかもしれない。 ずっと秘密主義でここまでやってきた。 もうそろそろ開始しよう、そんなふうに思ってのコンテンツ・ローンチ。 実はこのページ、『公式特設ページ』であり、『公式サイト』ではありません。 公式サイトはもっとずっと後に、少し面白い試みで作られる予定。 それには僕は、おそらく、ほぼ、関与しない。 ともあれ、これをアップした事で、僕はいよいよ追い込まれる。 それでいい。 ここらへんで自分を律する為にも、強力な追い風が必要なんだ。 だから、ここを境に、僕は自分自身の中でもう一度『はじまり』の線を踏もうと思うんです。 さて、この計画、ことの始まりは昨年の『P-LABO映画祭』にはじまる。 『P-LABO映画祭』は脚本家の三村渉氏の主宰する脚本家団体運営の映画祭。 ひょんな事から僕も作品を出すことになりましてね、『Elephant SANTIE』を出品しようかとも思ったのだけど、あれはアニメーションを作り始めた頃の作品なので『新しい事やりたいなあ、、、』って思って、それで一気に作り上げたのが『Horizon』。 この時に『BO-4(ボヨン)』の制作を一旦中止した。 『BO-4(ボヨン)』では映画祭には間に合わない、と思ったからだ。 でもその時既に、『Bolero(ボレロ)』の続編とも言うべき、画面のスクロールに主軸を置いた実験的なアニメーションの構想があった。 簡単なシノプシスもすぐに書けたし、これでいこう。 そうして出来たのが『Horizon(ホライゾン)』。 でもこれが良かった。 おかげさまで賞は取らないまでも、色々な映画祭でノミネート、ノミネート。 砕けてみるものだね(笑)。 それはさておき、その映画祭で、三村氏がうっすらと時代劇の構想を僕に打ち明けた。 『あー、時代劇っすかー、いいっすね。』 『君は時代劇はやらないの?』 『やってみたいとは思うんですけど、、、』 時代劇は誰もが扱える題材じゃないことを知っていた。 触れば大やけどをする。 そんなふうに思ってた。 まあ、いい題材が見つかるなら、、、いずれは、あり得る。 作りたくない訳じゃないから。 この時、僕は三村さんが考えている事を、ちっとも知らなかった。 |
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