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2011 03,22 20:57 |
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2011.03.11 僕たちは、日本列島は混乱の中にいた。
混乱の中にあって、僕が最初にしたのは電話。 電話は使いものにならず、Twitterを開くといろんな情報が飛び込んできた。 その中にはまさに救難信号と言えるRTが飛び交っていた。 はじめはノータッチだったが(複雑だった)、やっぱり自分もある程度の確認をしながらRtを始めた。 翌日辺りから東北での被害状況が浮き彫りになってきた。 この時だと思う。 その映像を見て自分の体験した中途半端な揺れと大災害が頭の中でリンクしてしまった。 日を追うごとに状況は悪化した。 そして気付き始めた。 これまで出会ってきた人たち。 子供たち。 大人たち。 夫々は一期一会の場合が多かったが、そういったこれまで出会った人たちの分布は被災地全てをカバーしていた。 2011.03.15 ついに原発が深刻化したとニュースになった。 内心、ちびりそうだった。 この日、この場所にいても腰が震える程不安がピークだった。 落ち着く為に絵を描いた。 兎に角絵を描いた。 僕はこのとき人間の感情や言葉を残さなくてはいけないと思ってしまった。 涙が止まらない日だった。 でも泣いてはいけないと思った。 思いつくだけ感情を描き記そう。 そう思った。 (日付15日のサインのものに関して) http://www.facebook.com/album.php?aid=47702&id=100000375845866&l=c451640948 恐怖と覚悟と。 今思う。 今尚危機には変わりないが、被災地の映像を見るたびにとにかく強く生きようと思う。 昨夜Twitterを削除した。 災害発生時、Twitterというものの有効性を強く感じた。 しかし災害の発生から時間の経過とともに凶器に替わりはじめることも痛感した。 削除した事で、僕の中でのリンクは切れた。 風化させたいという意味ではない。 この数日間は確実に日本人の胸に刻まれたのだから。 軽い言葉しか浮かばない。 あの日一緒に遊んだ子供たちや、一期一会の杯を交わした大人たちの事。 軽い言葉しか思いつかないが、ここらへんで一旦のケリをつけなければ前に進めないと思う。 だから、ごめんなさい。 What now my love PR |
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