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2009 06,10 14:16 |
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『核』の脅威は映画の中の話ではない。
今年広島でその一部を再確認してきたさ。 http://artmic8neo.blog.shinobi.jp/Entry/375/ こんな記事を書くのはどうも、身を切られる思いでついつい手が止まってしまうのだけど。 敢えて書いてみようと思いました。 『原爆観』。 なるほどね。 いろいろあるのしょうね。 明日には他人事ではなくなる、いや、今まさに他人事ではないんだと思う。 恐ろしい数の人命が、その命を全うする事なく奪われた形になった事は、けっして理解出来るものではないし、ましてや『仕方ない』では片付けられないと思う。 けどそれが結果的に終戦への急激な展開へ」結びつく大きな要因になったこと。 つまり恐怖によってもたらされた偽りの平和なのだよ。 と僕個人的には思う。 偽りの平和だから、今でも怯えているのだろう。 核は使われることのない兵器。 しかし、使用可能な兵器。 一意見の元に他意見を完全抹消する兵器。 黙らせる兵器。 平和をもたらす兵器。 消去する兵器。 安心をもたらす兵器。 けど、その白い外骨格の中のおぞましさを誰も見たものはいない。 広島、長崎以外は。 さて、この動画を見た。 『日本人の原爆観』。 僕は誰を擁護するつもりもないし、誰を批判するつもりもないけど、この議題自体がいかがなものかと感じました。 『核は絶対悪か?』『必要悪か?』『投下は仕方がなかったのか?』『いや許されるものではない。』 この会話自体が亡霊に操られてはいないか? この会話の前に『戦争が必要なのか?』『戦争は必要悪なのか?』本来そうあるべきなのでしょうね。 それが根幹になるべきだと思うんだよ。 いや、でも必要な会話だとは思うので。 あくまで個人的な感想なり。 PR |
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